「もんじゃ焼き」とは、ゆるく水溶きした小麦粉を鉄板で調理して食べる東京発祥のローカルフードです。「お好み焼き」に似ていますが、生地の水分比が多いため加熱後の鉄板の上でも糊状のままで固形化しないのが特徴です。小さな「はがし」という「へら」で、ひと口分ずつ鉄板に押さえつけて焼きながら食べるのが特徴です。「もんじゃ焼き」について詳しく見てみましょう。
「もんじゃ焼き」の起源は、江戸時代末期から明治時代初期に食べられていた「文字焼き(もんじやき)」だとされています。小麦粉を水に溶いた生地を鉄板の上で、文字や絵を描いて焼いた食べ物です。下図の左は、江戸時代の1814年(文化11年)に刊行された浮世絵師葛飾北斎の「北斎漫画」にある「文字焼き屋」です。右の図は、同じころに出版された浮世絵師鍬形蕙斎の「近世職人尽絵詞」にある「文字焼き屋」です。「子供等も 三人寄れバ 文字焼 智恵も進みて 亀の子を焼」と、「三人寄れば文殊の知恵」のことわざをもじった説明文もついています。職人の前には焼きあがった鯛や亀が吊るされていますが、手前にはヘラと皿が散らばっています。この時期になると職人が焼くだけでなく、子ども自身が絵や文字を焼いて楽しむようになっていたようです。
「もんじゃ焼き」の聖地としては、月島の「西仲通り商店街」が「もんじゃストリート」と呼ばれ、70店舗以上の「もんじゃ焼き屋」が軒を連ねていることで有名です。そもそも月島は、1892(明治25)年に大東京港を建設する計画のもとに、海底泥土を浚って造られた「月島一号地」という埋め立て地です。月島には長いあいだ橋が架けられず、渡し船で往来する不便なところでしたが、そのためか不思議にも関東大震災でも余り被害を受けず、また東京大空襲でも殆ど焼失の被害を受けませんでした。ですから今の月島の路地には下町風情が残り、家々の鉢植えの樹木や草花が路地庭園といった観です。そんな戦前の下町風の路地の住宅地を突っ切るように通る道が「月島西仲通り商店街」です。
「もんじゃ焼き」の食べ方は、ゆるく水で溶いた小麦粉に具材を入れて、調理用の大きなヘラで全体を混ぜて薄くのばし鉄板で焼き、各々が小さなヘラを使って熱々を食する料理です。幼い頃から親しんできた味を残そうと伝統のもんじゃ焼き店が工夫を凝らし、現在では様々な具材や味付けで「大人のつまみ」へと変化を遂げて現在に至っています。
もんじゃ焼きの食べ方のコツは、まず鉄板にある生地の端から食べる分だけかきとるように、はがしとります。次にそれを自分のお好みの硬さになるまで鉄板に押し付けたのちに持ち上げると、へらにもんじゃ焼きがくっついてくるのでそれを食べます。すくいとるような食べ方はお勧めしません。へらにもんじゃ焼きがくっつかない時は、まだ水分が多いのでもう少し焼いてみましょう。これが正しい食べ方です。これができるようになると、ちょっと通な感じがして「もんじゃ」にはまります。
ところで、農林水産省の「うちの家庭料理」というホームページでも、「もんじゃ焼き」が紹介されていて、歴史や食べ方、レシピなどが掲載されています。このHPでは、「もんじゃ焼き」以外にも47都道府県の郷土料理1,365種のレシピや歴史が検索できます。問い合わせ先は、大臣官房食文化室ということですので、急に「もんじゃ焼き」も格調高い感じになります。
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葛飾北斎、浮世絵に関する別記事があります。ご興味のある方はお立ち寄りください。