先日テレビを見ていたら、アサヒビールの移動式のビールサーバー車「マルエフカー」が全国47都道府県を完全走破し、各地で開催された「出張マルエフ横丁」で、多くの方が生ビールを楽しんだ様子が紹介されてました。そのとき感じたのが「水辺での開催が多いな!」という印象です。もちろん、景観や広さ、借りやすさ、アクセスの良さなどから、海辺や港湾、河川敷などが選ばれたという条件面での理由もあるでしょうが、もしかすると人はそもそも海や川などの「水辺に惹かれる」のではないかという仮説に思い至りました。
「生命の起源」は水にあるので、人間も本能的に「水のある空間」が落ち着くのかもしれません。人間の「祖先の生活」の場は川や湖などの水辺にあり、そこへ水を飲みにくる動物を獲り、のちには農耕を行い、水辺に親しんできました。だから水のたっぷりあるところに行くと、懐かしい感じがしたりくつろいだ気分になるのでしょう。
「水辺の環境」は水そのものの存在感や、空間の広がり具合、水の流れや波の動きを眺めたり、さらにはそれらが奏でる音環境が魅力的です。水辺に行くと「水」にさわってみたり足を浸けたり、という接触を自然にやる方も多いと思います。 また、海や川、湖、滝でも、潮の香りや森の香りなどの新鮮な匂いが必ずあります。日常と異なる世界を「五感」に刺激する水辺空間は、空気汚染が少なく太陽光が溢れるなどのプラスの「環境要素」に満ちています。
水辺が魅力的なのは「水が流動的」な点もあるでしょう。地球は陸と海でできていて、陸上は固定された世界で人はそこで生活しています。ところが海や川などの水辺は流動的で常に動いており、これらは陸上の日常生活とは違う「異界」です。つまり水辺に立つことで、自分の属する世界と異なる「別の世界」があることを実感できるのも魅力なのかもしれません。
鴨長明が「方丈記」で「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。」と記しているように、川では「新しい水」がどんどん流れ込んで、古い水を押し流しています。これは時間にも当てはまることで、私たちは「流れる時間」の中に生活しています。世界も自分も周りの環境も、すべてが常に変化しています。川の流れは人生を比喩するかのように、変化と時間の経過をはっきりと目の前に示してくれます。だから川のほとりに立つと、心地良さや快感のようなものを感じるのかもしれません。
水辺空間は気持ちをゆったりさせ、何も考えない穏やかな「リラックス状態」を創りだします。不思議なことに、水辺に行くと人間はあまり動かなくなる、とも言われます。無とは違いますが、静かになります。そこにたたずむ人が静かになるのは、水を眺めていると「羊水」に浮かんで育ったころの記憶がよみがえり、幸福感に包まれるからなのかもしれません。一方、精神科医の古賀良彦氏は、こころの健康に良い影響を与えるためにはリラックスだけでは不十分で、ストレスのない状態に「自分を作り直す」ことが必要だと指摘します。そのために有効なのは一瞬「夢中になる」ことで、例えば波の動きや川の流れに目を凝らし、湖の水鳥を眺め、滝の音に耳を傾けることで、私たちは「一瞬集中」し、心を解放することができます。
ビアガーデンの「出張マルエフ横丁」から、水辺空間への想像がだいぶ広がりました。水辺空間に惹かれるのは「生命の起源」であり、「五感に響く」環境がリラックスや集中を生んでいること。さらには、日常生活している陸地の「異界」であることへの畏怖と、流れが「時間と人生」を暗示する崇高さに共感するからかもしれません。