大規模な開発
近年、都市部の風景は目まぐるしく変化しています。1棟で数千戸が供給されるタワーマンションが林立し、駅直結の巨大複合施設が次々と開発されています。便利さと効率性を追い求めた巨大な建物群は「進化の象徴」であると同時に、そこに住む人々の感性や生活リズム、自然観、ひいては人格にまで影響を与え、ともすれば「人間らしさ」さえも失ってしまう恐怖を感じることもあります。
都市開発によって日々の快適さは増しています。高層階には高級感や素晴らしい眺望があり、快適な住民用施設や完璧なセキュリティ、天候を選ばない移動経路など、施設管理と運営が行き届いた現代では個人の不安や不自由は取り除かれ、街には「快適」「効率」「便利」といった言葉が溢れています。しかしその一方で、人と人との距離感や、自然とのつながり、空間感覚が大きく変化してきているようにも感じます。
タワーマンションには数千人の住人が居住しているにもかかわらず、隣人の顔すら知らず、廊下ですれ違っても挨拶すら交わされません。集合住宅の管理や防犯システムは隙のない安心をもたらしていますが、そこでは人間同士の会話や、ささやかな配慮は減っていきます。一方では生活音が聞こえなくなり、自然の変化に気づかず、人との偶然の触れ合いはほとんどなくなり、孤独を感じる人も少なくないかもしれません。開発による快適さを否定するわけではありませんが、あまりにも「大規模な開発」では、私たちは心の奥にある寂しさや違和感を感じることもあるように思います。
吉村順三 「ヒューマンスケール」
吉村順三(1908-1997、享年88歳)は、アントニン・レーモンドに師事し、モダニズムと日本の伝統の融合を図った建築家です。彼の設計思想は「建築は解説してわかるものではなく感受性に響くもの」「気持ちがいいもの」というもので、「小さいこと」にも目を配った建築家です。
「軽井沢の山荘」は、87.7㎡の小さな家ですが、全体の形が特徴的です。屋根は西に傾斜した大きな片流れ屋根で、2階は板張りの木造です。1階はコンクリート打ち放しで、2階よりもやや小さい形状です。メイン空間である2階の居間は、窓の大きさや天井の角度などに「気持ちいい」と感じさせる寸法上の工夫があります。この部屋を訪れた人は皆、「森に飛び出していく」とか「空中に浮かぶ」という感想を口にしますが、その感覚は2階が張り出している「外観の記憶」が印象として残っているからでしょう。
「いちばん小さい家」は、吉村が妻の従姉妹の求めに応じて、箱根仙石原の200坪の土地に設計したわずか10坪の小さな家ですが、吉村建築のエッセンスが凝縮されています。とびきりの開放感と女性ひとりの滞在を包み込む安心感があり、一段上がった畳の間や、丁寧に造られた収納、暖炉、親密な空気感に溢れています。物理的な広さを追い求めるのではなく「人が心地よく暮らせる必要最小限の空間」が体現されています。小さな家の中に「自然の光と風」「素材そのものの温もり」を存分に取り入れ、住む人の暮らしや想いが活かされる、まさに「ヒューマンスケール」な空間です。
吉村順三の建築は、「人の心理や感覚」に寄り添った詩的な作品と言っていいでしょう。彼の家は、「低い天井」が生む親しみやすさ、「光と影」が織りなす独特の雰囲気、そして「窓から見える美しい景色」が特徴的です。自然との調和を図り、四季の変化を感じながら生活する家は、「身体や心にちょうどいい」空間であり、私たちの心と身体を豊かにし、日常の一瞬一瞬を特別なものに感じることが出来ると思います。
都市での 「ヒューマンスケール」
大規模開発が指向するのは、トラブルや不快を徹底的に排除した「完璧な環境」です。多くの人にとって合理的で安全で好ましいものですが、一方では個人の感性や想像力を鈍らせてしまい、人とのささやかな交流や季節を感じる瞬間、住まいを工夫する楽しさなどを見失いがちです。
吉村順三は「人と人を繋げる距離感」「ヒューマンスケール」の家が、人を育て、心を解放し、他者や自然と優しくつながる「場」になるとしています。物理的には小さな住まいでも、どの場所にいても自然と家族の気配が感じられ、木の温もり、光や風の揺らぎ、家族の話し声に「暮しの本質」を見付けることを尊重しました。
大きな都市空間の中でも、吉村順三の「最小の思想」は、個人の感性やアイデアで十分に体現できると思います。たとえば隣人との挨拶で人との小さな距離感を試してみるとか、鉢植えやベランダで季節の変化を感じる小さな空間を演出する、窓から差し込む光や自然の移ろいに小さな自然を感じる、小さな一角にお気に入りの椅子を置いて静かな時間を味わう、など管理された区画の中でも「自分の場」を工夫して、心地良い空間を生み出すことはできるのではないでしょうか。
まとめ
大規模開発の恩恵をを享受しつつ、できる限り「ヒューマンスケール」のバランスを忘れずに暮らしたいと思います。都市に暮らしていても「最小住宅」の工夫を心の中に持つことで、「自分の居場所」と「人とのつながり」「自然との程よい距離」を見つけることが出来るのではないでしょうか。