「フツーにヤバい」に頭が混乱
先日テレビを見ていたら、街頭インタビューの場面で若者が「このイベント、フツーにヤバいっす!」と答えているのを目にしました。「ヤバい」と言えば、かつては明らかに危険な状態、あるいは困った場面に使うネガティブワードでしたが、「フツーに」というのんびりとした、変わり映えのしない、地味な言葉と一緒に使われています。結局このイベントは、普通なのか普通でないのか、ヤバいのかヤバくないのか、良いのか悪いのかもわからずに、なんとも「ジェネレーションギャップ」を感じてしまった瞬間でした。
かつての「ヤバい」という言葉は、学生時代に「今日のテスト、マジでヤバい…」と友人が呟けば、それは「絶望なほどできなかった」ことを意味していましたし、親が「財布を忘れた、ヤバい!」と言えば、それは「大ピンチ」が訪れた切迫感に満ちていました。しかし最近の若者は、同じ「ヤバい」を「まぶしいほどの褒め言葉」としても使いこなします。子供がおいしい料理を食べて「これヤバい!」と目を輝かせているときは「うますぎて、ヤバい」という意味ですので、心配するには及びません。
また、かつての「フツーに」という言葉は、どちらかと言えば平均値、大したことない、のニュアンスでした。しかし今どきの「フツーに」は「驚くほどに」「本当に」「かなり」「割と」といった強調や、驚きのレベルを引き上げる言葉にもなっています。たとえば「その髪型、フツーにおしゃれ」とか、「昨日の映画、フツーに感動した」などと、一見「普通」と言いつつ、全然「普通」ではなくて、言葉の意味を宙返りさせる面白い表現となっています。
両義語の世界
「ヤバい」では、「良い」と「悪い」の両極端の意味を持ちますし、「フツーに」では「普通」と「かなり」のふたつの意味を持っています。このような、反対の二つの意味を併せ持つ言葉を「両義語」と言いますが、日本語ではこれまでこのような言葉は多くはありませんでした。最近では「ヤバい」という言葉は、若者の会話ではかなり頻度で耳にしますし、文脈やイントネーションで「最悪」も「最高」も、自由自在に活用しているようです。
そのほかの両義語では、「エモい」は英語の“emotional(エモーショナル)”から派生した若者言葉です。本来は「感情が揺さぶられる」といったポジティブな意味で使われますが、現在は「感動した」だけではなく、「しんみりした気持ち」など「心の動き全体」を指す両義語として使われています。
また、「バグる」は英語の“bug(バグ:プログラムの不具合)”から発生した新語です。もともとは「システムやアプリが異常動作する」という意味の否定的な言葉でしたが、現在は「単なる故障」だけでなく「予想外」「異常に良い」「突飛な状態」としても使われるため、意味の幅が広くなり両義語として定着しています。
両義語が増えてきた理由のひとつには、SNSやネット文化の影響が大きいと考えられます。ネットの世界では、短くてインパクトのある言葉でやり取りされるため、「会話のスピード」や「感情の強さ」を一気に伝える必要から、ひと言で「多くのニュアンス」を含ませることができる便利さが支持されているのでしょう。
「ヤバい」のような万能ワードは、文脈や身振り、表情で意味を補えるため、あえてひと言を多義的に使いこなし、面白さやダイナミズム、それに加えて「仲間内でだけ通じる連帯感」を楽しんでいるのかもしれません。
まとめ
言葉は長い歴史のなかで、時代や使う人によってその形も変化してきています。「ヤバい」がピンチのみならず、チャンスも表せるようになったのは、日本人の「柔らかい感性」や「言葉で遊ぶ文化」が息づいている証しなのかもしれません。「フツーにヤバい」は慣れないと不思議な表現で戸惑いますが、この「言葉の揺らぎ」こそが「日本の文化」や「日本人の感性」の反映で、「日本語の奥深さ」を象徴しているのかもしれません。