午後四時、通りの角に吊るされた赤ちょうちんが、夕暮れよりも早く夜の入口を告げている。年季のはいった暖簾をくぐると、威勢のいい「いらっしゃい!」に迎えられ、焼き台の前の店主は小さくうなずき、慣れた手つきで串を返している。店内のカウンターではすでに常連らしき人が何人か飲んでいて、一人は焼き台の前の店主と向かい合うように陣取り、雑談を楽しんでいる。
私は静かにカウンターの空いた席に座り、やや緊張気味に「ハイボールと煮込みをお願いします。」と礼儀正しく注文する。湯気の向こうで店主の手が滑らかに動き、鍋からすくい上げられた煮込みの汁は澄んでいて、「当店名物」と壁に貼られたメニューに偽りはなさそうだ。ハイボールと煮込みで一息ついてから、少し落ち着いてメニューを眺めて、もつ焼き3本を頼む。一人なので一度に頼むのは2~3本にとどめて、温かい串を食べるのがいつもの流儀だ。
一人で飲んでいると、次第にこの店の空気がわかってくる。常連さんの人柄や、店員さんたちの役割分担や経験の長短、交わされる会話から「この店でこの前起こった出来事」までもが伝わってくる。多くの言葉は交わされず、穏やかな空気が店を支配する。炭のはぜる音や、氷がグラスを打つ音。視線や所作もゆっくりとなって、妙に心地のいい「間」が生まれている。時折り、追加を注文する声と、それに呼応する威勢のいい声も聞こえ、一人で飲んでいても退屈することはない。
常連さんは長居をしない。ビールと煮込み、串を二本頼んで、「じゃ、お勘定。」と去っていく。一日の仕事を終えた区切りの儀式として、日々の時間割の中にこの店が確かな居場所として、印されているのだろう。暖簾をくぐってから、勘定を済ませて出るまで、わずか二十分。短い時間に凝縮された、ささやかな再生の儀式とも言えそうだ。
電子マネーの時代に、この手の店ではまだ現金が通貨である。小銭を受け渡すときのジャラジャラとした音には、人と人との「やり取り」の実感がある。社会は便利になったが、便利さの中から消えていくのは、案外こうした小さな人間同士の接点なのかもしれない。居酒屋とは、本質的に「人とのあいだ」を取り戻す場なのだと思う。日々の競争や効率を離れ、人が人のままでいられる時間を過ごせる小さな社会。店を出ると、赤ちょうちんの灯が夕闇を照らしていた。電子の光よりも弱いけれども、不思議と温かい。ここにはまだ、人と社会の呼吸が残っている。
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