日本庭園がある和風邸宅を改装した食事処を訪れ、座敷から庭を眺めていると、飛び石の小道の途中に小さな石がひっそりと置かれています。石には棕櫚縄が十字にかけられ、その上部に向けて縄が編み上げられています。控えめながらも謎めいた存在感があって、「説明書き」も「札」もないのにその先へ足を踏み出させない不思議な力があります。
「関守石」は茶道の会席や日本庭園の世界で、これより先の立ち入りをご遠慮いただきたいときに、「柵」や「立て札」の代わりに据えられる、小さな境界線のしるしです。禁じるでも遮るでもなく、ただそこにあることで「ここから先は控えめに」という気配だけを伝えます。強い言葉も大きな身振りもないけれど、庭をゆく人の足は自然とその手前で止まります。和の作法らしい穏やかな物言いに心が和らぎます。
「立ち入り禁止」「入らないでください」とはっきり書かれる日常に慣れていると、文字で伝えない配慮が新鮮です。見る人の常識と想像力を信じて、あとは任せるという態度がそこにはあります。年齢を重ねるほど、こういう「言い過ぎない工夫」に惹かれるようになってきているのかもしれません。必要なことは伝えつつ相手の自由も残しておく、「関守石」はその微妙な距離感を、庭の上で見事に表現しています。
自宅の庭の一角にも、あの小さなしるしを置いてみたくなりました。庭と呼ぶにはささやかなスペースですが、「和の節度」を感じさせる要素が加わると、景色が変わるかもしれません。インターネットで作り方を確認して、庭の適当な石と棕櫚縄を用意します。棕櫚縄は植木屋さんがよく使う縄で、耐久性が高く雨ざらしでも簡単には傷みません。結び目は固くしっかりと締まり簡単には解けません。それでいて価格は手頃で、どこか素朴な風合いさえ感じます。
石の底部に棕櫚縄で作った輪を据えて座りを良くします。そこから十字に棕櫚縄をかけ石を縛り上げます。上下左右にバランスよく力をかけて引き締めれば、石はしっかりと縄に抱え込まれます。棕櫚縄特有のざらりとした手触りと、きゅっと締まる感触が心地よく、満足感が生まれます。ところが、石の上部に向かって縄を編み上げ、立ち上がりを作るのには少々苦戦しました。十字に縛っていた二本の縄だけで編み上げていくと、立ち上がり部分が細くてどうにも頼りありません。全体がひょろりと伸びて自立しにくく、これでは庭の小道を守る「関守」というより、風に倒れそうな「飾り紐」です。
そこで、別の棕櫚縄を二本加えることにしました。四本の縄を使って編んでいくと、徐々に柱のような厚みが生まれ、立ち上がり部分にようやく芯が通ってきます。指先で一本ずつ締め固めながら編み進めていくと、縄が互いに支え合い形を保とうとする感覚が伝わってきます。頂部近くまで編み上げたところで縄を四方に開き、全体のシルエットを調整して完成です。
完成した関守石を庭の片隅に据えてみると、ささやかな変化が生まれたように感じます。そこだけ空気が引き締まり、小さな「ここから先」という境目が生まれます。大がかりな造園工事をしたわけでも、高価な調度を買い足したわけでもない、石と縄だけのきわめて素朴な作業でしたが、そこには「境界を静かに示す」という、日本らしい作法のエッセンスが宿ったように思います。
もっとも、ひとつだけ気がかりな点もあります。「関守石」の意味を知らない人が見れば、「これはいったい何だろう」と首をかしげるでしょう。石を縄で十字に縛り、上に編み上げたその姿は少し異様で、人によっては不気味で不思議なまじないの置物のように見えるかもしれません。説明すれば理解されるでしょうが、説明しなければ想像に委ねることになります。それぐらいの余白を、あえて残しておくのも悪くないかもしれません。すべてに注釈をつけず、見る人の受け取り方に委ねる態度もまた、日本庭園の楽しみ方のひとつだと思います。小さな「関守石」はわが家の庭の片隅で、行き先を制するためだけでなく、そんな「余白の美しさ」を静かに伝えてくれています。中年を迎えてなお、こうしたささやかな作法に心を動かされるのは、年齢を重ねたからこそ得た楽しみなのかもしれません。

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「関守石」のある風景が書かれた、別ブログがあります。ご興味のある方はお立ち寄りください。
