温泉宿を発つ。去り際を美しく整える心配り。

温泉宿の一室、きれいに整えられた出立の朝

温泉宿を出発する朝は気持ちの良いものです。ゆっくりと温泉に浸かり、のびやかな思索の時間を楽しむ、そんな贅沢な日を過ごしたので、心と身体に充実感がみなぎります。チェックアウトの支度をしながら、昨夜の湯の香りや、部屋に残るぬくもりを感じると、もう少しここにいたいような名残りがこみ上げます。出立の朝は、どこか特別な静けさがあるようです。

荷物をまとめ、布団の上の浴衣をたたみ、ふと部屋を見渡します。座卓の上の湯のみやコップ、畳の上に転がる空き瓶やペットボトル、くしゃくしゃのシーツ、洗面所のタオル。清掃の方が入るのだから、このままでもいいのかもしれません。でも、ごみをひとまとめにして、使い終えたリネンをバスタブに入れ、掛け布団を軽く伸ばしてみる──それだけで、部屋の空気が少し落ち着くような気がします。

清掃を担う人の顔を見ることはほとんどありません。それでも、その「次の人」が気持ちよく作業を始められるようにする心配りは、言葉のない挨拶のようなものでしょう。日本の宿文化には古くから、「借りた場所を清めて返す」という感覚がありました。自分が「ここにいた」痕跡をやわらかく整えて渡すことは、きっと「ありがとう」を形にする所作だったのだと思います。

「発つ鳥跡を濁さず」という言葉は、去り際を美しく整えるという日本の古い教えです。道や部屋、さらには人との関わりにおいても、「後に残るものを乱さない」ことが、ひとつの美徳とされてきました。誰も見ていなくても、誰かがあとを引き継ぐのですから、その清らかさを保つことは、相手への敬意であると同時に、自分の心を整えることでもあります。古人が大切にしてきた「清めて去る」という感覚が蘇ります。神社で手を清めてから参道を歩くのと同じように、次の世界へ移るための儀式だと捉えてもいいのかもしれません。私たちが日々暮らす社会は、便利さと速度を優先するあまり、誰かにあとを引き継ぐ意識を置き去りにしがちですけれど、ほんのひと呼吸置いて見えない誰かへ思いを巡らせることが、お互いの存在をそっと繋いでくれるのかもしれません。

温泉宿の扉を閉めるその瞬間、一礼するように目を伏せて「お世話になりました」と心の中でつぶやきます。発つ鳥が澄んだ空へと舞い上がるように、清らかな気持ちで次の場所へ向かう。旅の美しさとは、こうした「去り際の清らかさ」にこそ宿るのかもしれません。