「もの」に宿る精神性
日本人は、ものに対して「人格」を感じているようです。使い込んだ道具に「この子はまだ大丈夫だね」と語りかけたり、「なんだか申し訳ないから」と簡単には捨てずに手をかけて直して使い続けます。「もの」には精神が宿るという価値観は、森羅万象を「八百万(やおよろず)の神」として神格化する日本人の自然観とも通じるところがあるのでしょう。
「もの」を長く大切に使うことは、単に資源を無駄にしない合理性だけでなく、これまで自分に付き合ってくれた「ささやかな感謝」と、使い続ける自分の「心を整える」という意味が込められているのかもしれません。長く使われた道具には、その持ち主の癖や、時代の空気、場所の記憶が刻まれています。それを大事に取り扱うことは、「もの」に込めらている「時間」への敬意を示すことに繋がります。
「もの」を整理する
日本では、「もの」を整理し揃えることを、日常生活の中で厳しく伝えられてきました。玄関では靴を揃え、部屋を片付け、机や道具、食器類はきれいに整理します。揃っていることが美しいという感性は、多くの人が子どもの頃から身につけてきた美徳です。こうした小さな「揃え」は、私たちの目と心に安心と秩序を与え、整えられた空間にいると人は不思議とやさしくなり、そこに居る自分も落ち着きを取り戻します。
「もの」の整理は未来との会話
「もの」を整理し片付けることは、その空間を未来の誰かに優しく手渡す作業だとも言えるでしょう。未来の誰かが気持ちよく過ごせるように、迷わずに手を伸ばせるように、時間を越えて準備しているのです。「未来の誰か」は、家族かもしれないし、友人かもしれません。そして多くの場合、それは「未来の自分自身」です。
片付けの本質を「未来の誰かの視点に先回りすること」と捉えると、それは単なる整理整頓ではなく、「時間を超えたコミュニケーション」として見えてきます。気持ちの良い空間に整えることは未来の誰かの幸せを願うことですし、包丁の向きやコード類の片付けなどに気を使うことは、うっかり触れて人がケガをしないように、という思いやりからきています。目の前で物を動かしているのは今の自分ですが、その結果の「状態」を受け取るのは、少し先の時間を生きている誰かです。その視点で片付けを始めると、同じ片付けでもどこか人肌のぬくもりを帯びて感じられるようになります。
まとめ
成熟した大人の暮らしにおいて、片付けはもはや「きちんとしなければならない家事」ではなく、「これまでの時間と、これからの時間をつなぐ、静かな対話の場」として位置付けることが出来るような気がします。引き出しを一つ整えてみたり、本棚の一段だけを見直してみる、あるいは玄関の靴を並べ直してみる。そのたびに「過去の自分」と「未来の誰か」が、「もの」を介して挨拶を交わしているような気がしてきます。そう考えると、片付けという行為の中に確かに人肌の温もりが立ち昇ってくるような感覚につつまれます。