富士五湖のひとつ河口湖の近くに「久保田一竹美術館」があります。外国人観光客にも人気が高いこの美術館は、建築の造形と、庭園の幽玄さ、展示されている「一竹辻が花」染めの着物の美しさ、一竹が収集した世界の工芸品の不思議な魅力など、見どころが尽きません。
久保田一竹と美術館
久保田一竹は着物の染色家で、20歳のときに室町時代の「辻が花染め」に出会い、その美しさに魅了され独自の「辻が花染め」研究を行いました。60歳にしてひとつの完成を迎え「一竹辻が花」と命名し個展で発表したところ、国内はもとよりヨーロッパ、北米においても一気に「一竹辻が花」ブームが巻き起こりました。1990年(平成2年)にはフランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章し、1995年(平成7年)には、現役アーティストとして初めて、米スミソニアン博物館で個展が開催されました。
久保田一竹美術館は、1994年(平成6年)一竹が77歳の時に河口湖町に完成しました。美術館を構成する三大要素である、染色着物や世界中の収集工芸品などの「展示物」のほか、建物や構築物などの「建造物」と、和風幽玄に満ちた「庭」も、たいへん魅力的なものとなっています。
本館
本館は、樹齢1,000年を超す「ひば」の大黒柱16本を使ったピラミッド型の建築物で、頂点は13メートル、床面積200平方メートルあります。伝統的な職人の技と、現代的なログハウス工法が融合した複雑な木組みで構築されています。
外観
敷地の奥、積層の石で造形された石舞台の上に、ピラミッド型の本館が見えます。夏は木々の緑に埋もれていますが、落葉期にはピラミッドが姿を現わします。
内観
久保田一竹のライフワークである「辻が花染め」の「光響」の連作が展示されています。「辻が花」とは、室町時代に生まれた技法のことで、絞り染めを基本にしながら、その上に絵や刺しゅうを加え、金箔などの装飾を施す手の込んだものです。その豪華絢爛さが戦国武将たちに愛されましたが、江戸時代になると作業効率が良く自由な絵画表現が可能な「友禅染」が登場し、「辻が花」を継承する職人は絶えてしまいました。
遠目には一色に見えても、近寄れば、千々(ちぢ)の濃淡と立体感があるのが「辻が花」の特徴です。一竹の「辻が花」は、縫う・絞る・染める・蒸す・水で洗う・絞りを解く・作業を何十回も繰り返して完成させます。
茶房一竹庵
竣工当時は、来客用の応接として利用されていた部屋が、喫茶室として活用されています。
床には琉球石灰岩(サンゴ等の堆積岩)を敷き詰め、壁はサンゴを焼いて粉末状にし、ワラを混ぜて醗酵させたものを、手作業で塗った沖縄漆喰で仕上げ、不思議な温かみのある空間が創られています。
久保田一竹がインド、アフリカ、東南アジアなどから集めたインテリアが置かれ、様々な文化が渾然一体となっている不思議と落ち着く空間となっています。
新館
外観
2011年(平成23年)にリニューアルした新館は、手積みによる琉球石灰岩の8本の円柱に支えられた回廊を持つ不思議な造形の建築物です。スペインの建築家アントニ・ガウディが、バルセロナに造ったグエル公園内の回廊を彷彿とさせるこの新館は、ガウディのファンだった一竹が考案しました。
内観
床は琉球石灰岩が敷き詰められ、壁は沖縄漆喰です。久保田一竹がインド、アフリカ、東南アジアより集めた工芸品が配されています。
新館のギャラリーでは、一竹が永年に渡り収集してきた「蜻蛉玉(とんぼだま)」が展示されています。ガラスに色文様を施した「蜻蛉玉」の起源は、紀元前3000年ころに遡るそうです。
庭園
庭は、久保田一竹の構想により、京都の造園家北山安夫氏が手がけました。 琉球石灰岩、富士の溶岩、多種多様の植栽、渾々と湧き出る豊かな水と相いまり、幽玄な雰囲気を醸し出しています。
エントランス
道路脇の美術館入口のサインです。富士山を愛した一竹に因み、富士山がイメージされているようです。
美術館正門は、インドの古城で使われていた木彫りの扉を再利用したものです。
正門わきの柵は、金属のオブジェで造られています。雲をイメージしているのでしょうか、非常に美しく、落ち着く造形です。新館2階テラスの手摺も同様に金属のオブジェで造られています。
まとめ
美術館に着いて、まず正門に圧倒され、入った池と庭園に感動して、小路を上がって新館を見てその造形に興奮します。新館のギャラリーを観たのちは、本館に移動しますがここでも積層の石の上に佇む配置に共感し、ようやく「一竹辻が花」との対面です。随所にある琉球石灰岩と沖縄漆喰、世界の工芸品などのセンスも素晴らしく、染色家のみならず芸術家としての感性のすばらしさに感動します。
染色家「一竹辻が花」の着物だけでなく、建造物や庭園の素晴らしさも、じっくり味わっていただきたい美術館だと思います。