古代ローマは、イタリア半島中部に位置した国家の総称で、都市国家から始まり領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国となりました。紀元前753年から509年の王政期、紀元前508年から27年の共和政期、紀元前27年から西暦476年の帝政期に分かれます。
帝政期の初期には優れた土木建築技術により、道路やコロッセウムなどが建築されるとともに、上下水道も整備されたことから、テルマエと呼ばれる浴場の整備も盛んに行われました。日本の温泉文化とも通じるテルマエについてご紹介いたしましょう。
テルマエとは
テルマエは体を洗うだけでなく、体を動かし、人々と交流して心身の健康を保つための場所であり、食事や音楽、朗読会などの文化サロン的な側面も併せ持っていました。トラヤヌス浴場やカラカラ浴場には図書館も備えられていました。
建設時期
2世紀の五賢帝の時代には、共和政時代から続いてきた領土拡大が集大成を迎え、ローマ帝国始まって以来の平和と繁栄が訪れ、パクス・ロマーナ(ローマによる平和)と呼ばれる時代に入ります。テルマエの建設もこれらの時期と重なります。
建設時期 | テルマエ MAP、No. | 浴場名 |
紀元前25年 | ② | アグリッパ浴場 |
西暦60年 | ① | ネロ浴場 |
80年 | ⑦ | ティトゥス浴場 |
109年 | ⑧ | トラヤヌス浴場 |
216年 | ⑩ | カラカラ浴場 |
249年 | ⑨ | デキウス浴場 |
306年 | ④ | ディオクレティアヌス浴場 |
313年 | ③ | コンスタンティヌス浴場 |
323年 | ⑪ | ヘレナ浴場修理 |
テルマエ MAP
ローマの水道
ローマの水道は、紀元前312年から3世紀にかけて建築されました。これら500年かけて建造された11の水道は、古代のもっとも偉大な業績の一つであり、ローマ帝国滅亡後1000年以上もこれに匹敵するものは作られませんでした。ローマ帝国滅亡とともに多くは破壊されましたが、現代においてもヴィルゴ水道の一部は2000年以上たった今でも使われており、その終端は、あの有名なトレヴィの泉です。
テルマエ施設
当時はローマだけでも400を超すテルマエがあったとされますが、概ね400年の間にいくつもの大規模なテルマエが建設されています。これらは個々の規模が大きく、カラカラ帝の治世に造営されたカラカラ浴場は、1辺300mの外壁の中に、長さ225m、幅185m、高さ38.5mの浴場と庭園が造られ、浴場は一度に1,600人を収容することができました。今もその遺跡が残っています。
カラカラ浴場 平面図
数々の浴室とプール、運動場が見て取れます。外周部には店舗や広間、図書館があり、中庭部分には散策できる庭園や競技場が設けられています。施設の端部には大きな貯水槽が設けられ、水道橋で水が供給されています。
カラカラ浴場鳥観図
浴場内観図
テルマエ内観の想像図。地下で熱したお湯を館内に循環させ、建物全体を温めていました。そのため床は熱く、館内の移動時にはサンダルを履いていました。
カラカラ浴場の遺跡
カラカラ浴場の遺跡は、観光地になっていて見学することができます。また、様々なイベントでも利用されています。
テルマエ遺跡の内部の様子です。階高も高く立派な施設です。
入浴方法
テルマエは、古代ローマ人が複合的な温浴施設として大規模に発展させたもので、複数の浴室を巡る循環浴の形態をとります。まず衣服を脱いで軽く運動して、冷浴室(フリギダリウム)で水浴し、温浴室(テピダリウム)で体を慣らしたのち、熱浴室(カルダリウム)の熱いお湯に入ります。熱で体が柔らかくなったら、くつろぎながらマッサージを受けます。
入浴器具
香油壺(アリュバロス)と肌かき器(ストリギリス)、小皿(パテラ)がセットになった入浴器具です。1世紀に使われていたものでポンペイで出土しました。油は体に塗り、肌かき器は異なったカーブのものが3種類あります。小皿は体にお湯をかけるのに用いられました。
テルマエの利用者
テルマエは社交の場であるとともに、社会階層の垣根を越えて、裸で接することが可能な場とされていました。皇帝が姿を現すこともあったとされています。老若男女の誰でも利用できましたが、混浴は禁止されており、男女別の施設を設けるか、あるいは時間帯によって男女の利用を区分していました。
古代ローマのテルマエと湯治文化
テルマエの終焉
古代ローマの大規模なテルマエは、高度に発達した水道設備と奴隷の労働力で運営されていましたが、ローマ帝国の崩壊とともにテルマエは廃れ、広がっていた公衆浴場文化も一斉に姿を消してしまいます。現在のローマで公衆浴場をみることはなく、温浴の文化は途絶えてしまったようです。現在のイタリアでは毎日湯船に浸かる人さえ、少ないようです。
天然温泉の湯治文化
一方、ナポリ沖合のイスキア島のニトローディ温泉で、2世紀のものとみられる大理石の浮彫りが出土しました。イスキア島はナポリ湾に浮かぶ島の中で最も大きく、天然温泉があることで現在でも人気のリゾート地です。ニトローディ温泉は治癒効果があるとされており、発掘された2世紀の浮彫りにもアポロと3人のニンフ(女神)が彫られ、誓願成就の奉納であることが下部に記載されています。古代ローマにおいても、温浴により病気治癒を求める湯治文化が存在していたようです。イスキア島では現在でも天然温泉が病気治癒に用いられています。
日本の温浴文化との比較
古代ローマのテルマエは、体を洗うだけでなく、お湯を楽しみ、食事をしたり、休憩所で娯楽を楽しんだりと、長く温泉施設に留まることを好んでおり、日本の温泉文化や銭湯文化にとても似ていることに驚かせられます。しかしながら、古代ローマのテルマエはとても大規模で、ローマ帝国の巨大な富と権力があればこそ運営できていましたが、ローマ帝国の崩壊とともにテルマエは維持できなくなり、放棄されることとなります。
一方、日本は古くから恵まれた自然湧出の温泉で、その土地特有のお湯を楽しんできました。多くは比較的小さな施設で、源泉かけ流しのため維持費もさほどかからず、地域で運営されることが多かったようです。その後、広く入浴の習慣と都市部に公衆浴場が定着してくるのは江戸時代ですが、家庭内のお風呂が行きわたった現在でも、なお多くの公衆浴場が残っています。近所の銭湯に行ったり、温泉地へ旅すること、近年のサウナブームなどにより、より一層日本人のお風呂好きに拍車がかかっているようにさえ感じます。
テルマエ展
古代ローマのテルマエ(公共浴場)が、大規模な建築と、当時の豊かな暮らしの象徴として、国内外から高い関心が寄せられています。また、日本でも公衆浴場がこよなく愛され、家庭内の風呂が当たり前になった現在でも、東京だけで約700軒の公衆浴場が存在し、温泉人気も衰えません。
古代ローマのテルマエを紹介しつつ、日本の温浴文化とのつながりを探る興味深い展覧会が開催されました。2023年から2024年にかけて、山梨、大分、東京、神戸で巡回展示していました。
まとめ
2世紀ごろに大規模なテルマエをいくつも造ったローマ帝国の技術力、財力、権力には改めて驚嘆します。一方、大規模な水道設備による人工的で、かつ運営には多大な労働力を要するテルマエは、ローマ帝国の富と権力の消滅とともに衰退の道をたどり、ヨーロッパにおいては一部の自然湧出の温泉地を除いて、温浴文化は途絶えてしまいました。
一方、日本においては古くから全国各地に自然湧出の温泉が発見され、小規模ながら地域の人々に綿々と愛されてきています。現代においても温浴文化は日本人に深く浸透しているといえるでしょう。古代ローマ人も愛した温浴文化を、私たちが継承していきたいものです。