明治神宮は、広大な敷地のなかに鳥居や参道、本殿などがあり、日本人の信仰の中心地として毎年多くの人々が新年の初詣や結婚式などの祭事に訪れます。ご祭神は明治天皇と昭憲皇太后で、明治天皇と明治時代の功績を讃えるために建立されました。明治神宮は静かな森の中にあり、都心の喧騒から離れて自然の中で心を静めることができるとともに、日本の歴史や文化を象徴する重要な存在として、多くの人々に愛されています。

明治天皇
明治天皇は、1867年(慶応2年)孝明天皇が崩御すると、満14歳で第122代天皇となります。薩摩藩の西郷隆盛や大久保利光が公卿・岩倉具視を通じて討幕の密勅の下賜を明治天皇に求め、その10ヵ月後に江戸幕府の徳川慶喜が「大政奉還」したため、新政府が樹立されました。1868年(15歳)には新政府の基本方針である「五か条の御誓文」を発布し、元号を明治と定め、江戸を東京と改め都を遷しました。その後、1871年(18歳)に「廃藩置県」が行われ、1889年(36歳)には「大日本帝国憲法」を発布します。1894年(41歳)の日清戦争、1904年(51歳)の日露戦争では、明治天皇自らが指揮をとり日本を勝利へと導きました。幕末から明治維新の動乱期を若くして乗り切り、近代国家の日本を確立する中心にいた明治天皇ですが、その素顔は、茶目っ気があり日本酒をこよなく愛し、鞠を蹴り、乗馬好きで和歌を詠む、気さくな人柄だった言われています。

明治神宮の創建、歴史
1912年(59歳)明治天皇は、持病の「糖尿病」が悪化して「尿毒症」を併発し、「心臓麻痺」を起こし崩御されます。ご遺体は遺言により京都の伏見桃山陵に埋葬されます。東京の地においても「明治天皇を祀る施設」建立の機運が高まり、1913年には「明治神宮」建立が決定され、1920年(大正9年)に創建されます。
明治神宮建立以前の土地は原野が広がり、神社設営のためには人工林を作ることが必要でした。このため、造園に関する一流の学者・本田清六などが集められ検討を加えたところ、立地環境から針葉樹は不適とされ、最終的には広葉樹を目指すこととしました。当初は成長の早い針葉樹もあわせて植林し、遅れて広葉樹を成長させ、およそ100年の年月を経て広葉樹を中心とした森に到達するという、手入れや施肥などを行わずに永遠の森を形成する「造園科学」に基づいた計画です。現在の明治神宮の森の様子を見ますと、日本の近代造園学の創始期の正しさが見事に証明されていると言えるでしょう。また、造園整備にあたっては、全国の青年団の勤労奉仕が行われ、植林された木々は全国から寄せられた10万本の献木によるものです。

明治神宮の諸施設

社殿
創建時の明治神宮社殿の設計は伊藤忠太が行い、造営は内務大臣所管の明治神宮造営局が担当しました。1920年(大正9年)に完成しましたが、1945年(昭和20年)の太平洋戦争の空襲では本殿、拝殿を含む中心部分の社殿が焼失しましたが、南神門・東神門・西神門やその周辺の建物群は創建当時のものが現存しています。再建社殿は1958年(昭和33年)に完成し、2020年(令和2年)本殿、内拝殿、外拝殿などの36棟が国の重要文化財に指定されています。

御苑
明治神宮のなかにある「御苑」ですが、明治神宮建立以前の江戸時代から大名下屋敷の庭園として使われていました。ここは明治天皇と昭憲皇太后にゆかりの深い名苑であり、この地の風光をこよなく愛した皇太后はしばしば行啓されたほか、明治天皇は隔雲亭という御茶屋を建て、四阿(あずまや)を作り、池には菖蒲を植え、回遊歩道を設けて美しい庭園としていました。御苑の中には「清正井(きよまさのいど)」があり、テレビ番組でパワースポットとして紹介されたことがあります。

その他の施設
明治神宮ミュージアム
1921年(大正10年)に明治天皇・昭憲皇太后のご愛用の品を納める宝物殿が造営されました。宝物殿は戦争の被害は免れましたが、2011年(平成23年)の東日本大震災により大きな被害を受け、また同年に重要文化財建築物の指定を受けたことから、保存に必要な耐震・保存工事を行いました。2019年(令和元年)に「明治神宮ミュージアム」を新たに建設し、宝物殿に収められていた所蔵品をより良好な状態で展示・収蔵することとしました。隈研吾氏の設計による森と調和する木を基調とした2階建ての、緩やかな勾配の屋根を持つ建物です。

フォレストテラス、カフェ
南参道の途中には、レストラン、カフェ、宴会場、物販店からなる「フォレストテラス明治神宮」があります。食事や休憩のほか、結婚式披露宴や各種宴会、会合などで利用することが出来ます。また、原宿駅から歩いてすぐの南参道の入口には、カフェ「杜のテラス」があります。木の素材で仕上げられた優しい外観とウッドデッキが印象的で、まるで森の中のリゾート施設のような洗練された佇まいです。


神宮外苑
明治神宮から少し離れた青山の地に、明治天皇を中心に行われた維新の大改革、その輝かしい時代の歴史光景を描いた80枚の名画を展示する「聖徳記念絵画館」のほか、陸上競技場(現、国立競技場)、明治神宮野球場、憲法記念館(現、明治記念館)などがあり、通称「神宮外苑」と呼ばれています。1926年(大正15年)に全国民の寄付と勤労奉仕により造営され、明治神宮に寄贈されました。宗教法人明治神宮の収入のうち宗教行事によるものは1割強で、残りの8割強は明治記念館の結婚披露宴事業など神宮外苑の収益事業により賄われています。

まとめ
筆者は、毎年初詣に明治神宮を訪れていますが、広大な森と社殿の荘厳さ、それと人の多さには圧倒されます。参拝後には屋台なども出ていますので、そこで軽く一杯やるのも楽しみのひとつです。最近「明治神宮崇敬会」に入会しましたので、「春の崇敬者大祭」に参列してきました。神事、舞の奉納が終わると、直会のお弁当を手土産に頂いて解散です。そのほか境内の有料施設の入場料が無料になったり、全日本力士選士権大会(国技館)の観戦に招待もされますので、3,000円の崇敬会年会費もお得かもしれません。そのほか、北入口(代々木駅方面)からは参拝者専用の無料駐車場にアクセスできますし、社殿北側には芝生広場も広がっていますので、シートを広げてのんびり過ごすのも良いかもしれません。明治神宮は、身近に親しむのことが出来るおすすめスポットです。