中央構造線は日本列島を東西に貫く巨大な断層で、古くから多くの神社がこの断層線に沿って鎮座していることが知られています。とても不思議な現象で、ところによってはパワースポットとしても知られています。中央構造線と神社の起源と立地について調べてみました。
中央構造線とは

中央構造線は、九州から四国、紀伊半島、愛知県から諏訪地方に連なり、そこから千葉、茨城に向かう巨大な断層です。この断層は概ね1億年前の白亜紀に形成されたもので、明治初期にドイツから招聘された地質学者のナウマンにより発見されました。また彼は本州中部の新潟県から静岡県に至る大きな陥没地帯を見つけ、フォッ サ・マグナと名付けます。約1500万年前に形成されたフォッサマグナにより本州は真っ二つに切り離され、西縁の断層は糸魚川静岡構造線と呼ばれており、中央構造線と交差しています。

神社の建立の起源
神社の起源は、古代日本人の自然崇拝にあります。古来、山、森、岩、巨木、川など自然の中に神が宿ると考えられ、これら神聖な存在を祀るために設けられたのが神社の始まりです。初期の神社には建物がなく、神聖な場所に簡易な祭壇を設けて祭祀が行われていました。神社は自然崇拝に端を発し、豊穣や安全、平和を祈るために祭祀を行い、時代を経るとともに共同体の守護や国家の祭祀、偉人顕彰などの意図をもって発展してきています。
神社が中央構造線上に多い理由
1. 地震との関係説
中央構造線は世界でも有数の活断層ですので、大小の地震の発生源となってきたはずです。つまりこの周辺では地震のたびに人的・物的被害がもたらされてきたことでしょう。地震被害に対する供養、あるいは地震を抑える祈願や祭祀の場として、あるいは神域にして人が住まない場所とし、地震発生時の被害を抑えようとしたのかもしれません。
2. 縄文古道説
中央構造線は縄文時代からの古道であり、古代人がこの断層に沿って行き交う主要な道として利用していたという説があります。この古道沿いに集落が形成され発展し、その地に聖地や神社が生まれたという考え方です。たとえば、諏訪大社や伊勢神宮がこの断層線上にあるのは、こうした古代の交通路に基づくものとされています。
3. その他の仮説
そのほか面白い仮説としては、中央構造線には鉄や銅、金などの鉱物資源が豊富なので産業が興り、安全祈願などと神社と結びついたとする説があります。また、中央構造線の花崗岩に含まれる石英は地震活動時に電気的発光現象を起こします。古代人がこれを神秘的な光として畏怖し祭祀を行ったとする説もあります。
中央構造線上の代表的な神社
高野山は、標高1000mの山々に囲まれた盆地で、弘法大師「空海」によって816年に開かれ、真言宗の総本山である金剛峯寺があり、ユネスコの世界遺産にも登録されています。
伊勢神宮は、三重県伊勢市にあり正式名称は単に「神宮」なのですが、他の神宮と区別するために伊勢神宮という呼び方が定着しています。全国に約8万箇所ある神社の総本社に当たり、本来は皇室や朝廷との関係が強く、天皇や内閣総理大臣といった権威者が参拝することで知られています。
諏訪大社は古来からの自然信仰の姿を残す歴史の長い神社で、創建は神話の時代まで遡ります。 本宮・春宮・秋宮には本殿が存在せず、自然そのものを御神体とする古の信仰形態をとっています。自然・狩猟・農業・航海安全、戦や勝負の神として祈願されています。
香取神宮は千葉県香取市にある神社で、関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社です。 鹿島神宮は茨城県鹿嶋市にあり、創建は紀元前660年で全国に約600社ある鹿島神社の総本社でもあります。香取神宮と鹿島神宮はともに宮中の四方拝(※)で遥拝される神社の一つです。また、かつては地震は地中の大鯰(おおなまず)が起こすものと考えられていました。香取神宮、鹿島神宮には各々要石があり、地震から守るため大鯰の頭と尾を抑えているといわれています。要石は見た目は小さいのですが、地中部分は大きく決して抜くことはできません。

(※)四方拝とは、天皇陛下が元旦に神武天皇陵を始めとする天皇御陵のほか、三重の伊勢神宮、京都の上加茂賀茂神社・下加茂神社・石清水八幡宮、名古屋の熱田神宮、埼玉の氷川神社、千葉の香取神宮、茨城の鹿島神宮を遥拝するものです。
まとめ
中央構造線と神社の位置関係は、単なる偶然ではなく古代からの人々の信仰や生活と深く結びついているのでしょう。地震を鎮めるための祭祀、古代の交通路、産業活動や地質学的な自然現象の目撃などの要因が重なって、神社がこの断層線上に集まったのでしょう。この配置の不思議は、日本の地質学と宗教文化が融合した独特の歴史的文化現象ともいえるでしょう。