ニューヨーカーの「大きな音」

ニューヨークでは、街の騒々しさに驚きます。ひっきりなしに鳴り響く車のクラクション、通り過ぎるバスの低いエンジン音、そしてそれらを呑み込む、耳をつんざくパトカーや救急車のサイレン。ビルの谷間で跳ね返った音は、まるで街全体が自分の存在を主張しているかのように、あらゆる音が混じり響き渡ります。
とはいえ、不思議とそれが苦になりません。東京のそれとは違い、どこか陽気で、街の熱気に似合っているような気がします。人も音も「自分を出すこと」がこの街の律動なのでしょう。黙っていては誰の目にも止まらないので、存在感は声と音で示す街の流儀に、私は少し圧倒されつつも、むしろたくましく羨ましいものであるとも感じます。
ニューヨーカーの「大きな心」

スターバックスで注文すると名前を聞かれます。はじめは少し戸惑いますが、紙カップに自分の名前が書かれ、「Hey! Ino!」と呼ばれる瞬間に、なぜか小さな連帯感みたいなものが胸に灯ります。知らない街で、知らない人たちに混ざりながらも、名前ひとつで「あなた」として扱われます。
店のレジでも「Hi, how are you?」と声を掛け合い、レストランでは「おいしかったか?」とフレンドリーに聞いてきます。形式的のようでもあるけれども、その一瞬に「ここで同じ空気を吸っている」というささやかな人間の連帯を感じます。フレンドリーさは、たぶんこの街を動かす潤滑油なのでしょう。言葉や文化の違いが入り混じっても、人は笑顔でそれを乗り越えていけるのでしょう。ニューヨーカーはそのことをよく知っているのだと思います。
ニューヨーカーの「食べる量」

ランチボックスを頼んだとき、渡された容器が落としそうなほどずっしりしていて、思わず笑ってしまいました。これがひとり分なのか?と。日本の感覚でいえば「二人で分けるボリューム」です。もちろん彼らはそれを平然と平らげますが。
知人の日本人女性が、アメリカ人の夫に日本式のカレーライスを作ったと言います。お皿にこんもりとごはんを盛り、カレーをかけて出すと、夫はうれしそうに食べ、食後に「で、メインは何だ?」と尋ねたと言います。なんと、日本式のカレーライスは、彼にとってはまだ前菜だったのです。
街を歩けば、平均的な体格も見事なものです。180センチ、90キロの男性、160センチ、70キロの女性は珍しくありません。アメリカ人は年間を通じて、感謝祭やクリスマス、独立記念日などのイベントごとに特別なごちそうを食べる習慣があって、普段の食事よりボリュームが増えて、まさに大食いの機会です。それに続く年始の時期には、テレビでダイエットのCMがたくさん流れるそうですが・・・。
まとめ
高らかにクラクションを鳴らし、よく話し、笑い、山盛り食べる、ニューヨークはいつだって人生にボリュームを与える街のようです。静かで繊細な日本の美徳とは対照的ですが、そこに住む人々の活力に刺激を受けると、自分の中でも何か少しずつリズムが変わっていくのも感じます。あの街の喧噪が恋しくなるのは、もしかしたらそのせいかもしれません。