戦国武将は温泉好き 武田信玄の隠し湯として有名な山梨と長野の4湯

恵林寺庭園 温泉

戦国武将の武田信玄隠し湯は広範囲に存在していますが、その中でも信玄との関係がはっきりしている代表的な温泉4つ紹介します。武田信玄の居館跡にある武田神社と武田信玄菩提寺の恵林寺についても合わせて紹介します。

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戦国武将と温泉

戦国武将温泉の関係は深く、上杉謙信と生地温泉(富山県黒部市)、島津義弘と吉田温泉(宮崎県えびの市)、織田信長と下呂温泉(岐阜県下呂市)などが有名です。戦闘に明け暮れた将兵たちの疲労回復と傷病の療養のために積極的に整備していたものと思われます。

信玄の隠し湯

武田信玄は生涯にわたって80戦の戦闘を行い「60勝3敗17分け」という驚異的な勝率で甲斐の虎と恐れられていました。同時に「人は城、人は石垣、人は堀」という言葉が象徴するように内政的な手腕にも優れていました。施策のなかには療養のための温泉を整備することがあったため、信玄の隠し湯伝説が多く生まれました。信玄の隠し湯は、山梨、長野、静岡、岐阜と広範囲に存在しますが、信玄との関係が明らかなものを4つ紹介します。

湯村温泉(山梨県甲府市)

湯村温泉は武田信玄の居館があった場所から近く、武田家の戦記を記録した「甲陽軍艦」に武田信玄勝頼父子が湯治を行ったと記載がある正真正銘信玄の湯です。現在は市街化が進み温泉街としての風情はありませんが、湯村温泉の8つ旅館が宿泊者に「湯めぐり手形」を交付して、相互の温泉を楽しめる企画を行っています。周辺には数々の伝説と史跡名所が脈々と受け継がれています。

湯村温泉 湯めぐり手形
出典:湯村温泉HP

信玄の湯 湯村温泉公式HP リンク

川浦温泉(山梨県山梨市)

川浦温泉は武田信玄が配下の武田二十四将のひとり山縣昌景に命じて開発したことが、書状として残る武田信玄ゆかりの湯です。甲府北東の笛吹川上流の深山にあり、山縣家15代目が当主の山縣館一軒宿として渓谷に面して建っています。山縣館は2本源泉から毎分1,300㍑を湧出し、100%源泉かけ流しで数多くの浴室や露天風呂を楽しめます。昭和50年に、現在の天皇陛下が皇太子として宿泊されています。

川浦温泉 遠景
出典:川浦温泉山形館HP

川浦温泉 山形館公式HP リンク

渋温泉(長野県山内町)

1300年前に開湯した渋温泉において、1556年に佐久の徳忠禅師が曹洞宗横湯山温泉寺を復興する際、武田信玄が手厚い支援を行い、現在も信玄直筆の寄進状軍配が残っています。渋温泉の魅力は源泉かけ流しの豊富な湯量と厄除外湯巡りです。外湯巡りは、泉質が少しずつ異なり効能が異なる9つ外湯を巡るもので温泉好きにはたまりません。武田信玄の寄進により発展してきた渋温泉は、今も木造建物石畳の味わい深い風情が魅力です。信玄ゆかりの由緒ある神社仏閣も多く残っています。

渋温泉 街並み
渋温泉街並み 出典:写真AC

渋温泉公式HP リンク

下部温泉(山梨県身延町)

下部温泉は、武田信玄の父信虎の時代から武田家公認湯治場として多くの将兵の傷を癒してきた温泉です。温泉の開湯は1200年前といわれており、古くは日蓮上人も湯治に訪れたともいわれています。武田二十四将のひとり穴山信君公の領地であり、信玄公がたびたび訪れていたであろうことは容易に想像できます。

下部温泉公式HP リンク

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おまけ

武田神社

武田信玄の居館躑躅ヶ埼館(つつじがさきのやかた)跡にあり、当時の「」「石垣」「古井戸」の跡が今も残ります。ご祭神は武田信玄公でご利益は「勝運」です。宝物殿には川浦温泉整備の下知状もあります。最寄り駅は甲府駅です。

武田神社 リンク

恵林寺

武田家の菩提寺信玄公の墓所があります。通常は非公開ですが、月命日の毎月12日のみ一般公開しています。庭園は京都嵯峨野の天龍寺や嵐山の西芳寺(苔寺)の庭園とともに夢窓国師造った名庭園のひとつです。臨済宗妙心寺派の寺院で、最寄り駅はJR塩山駅です。

恵林寺
恵林寺

恵林寺 リンク

信玄ゆかりの恵林寺と山梨の温泉についての記事があります。ご興味のある方はお立ち寄りください。