画家は長寿を得ることが多いとされています。また、彼らはその最晩年まで現役で画を描き続けています。葛飾北斎は88歳で亡くなりますが、彼が生きた時代は江戸時代(1760-1849)ですので、当時の食生活や衛生環境、医療水準などを考えますと驚異的な長寿と言えるでしょう。ピカソは91歳で亡くなりますが、日本で言う明治時代の生まれ(1881-1973)ですので、彼もかなりの長寿です。同じく明治生まれの女流画家で文化勲章も授賞している小倉遊亀(1895-2000)は、なんと亡くなる年の105歳まで、画を描き続けていました。
画家が長寿である理由のひとつに、画を描く行為が脳の様々な分野を広く刺激し、これにより脳の老化を遅らせるとともに脳細胞の新生も行われることが、最近の脳科学の研究によって明らかになっています(※1)。画家は対象物をただ目で見るのではなく五感を総動員し、研ぎ澄まされた感覚で深く心に記憶します。次にそれを創造力と構想力によって、3次元の造形と色彩を表現していきます。実際の描画においては手や指を動かしますし、題材を求めての画作の旅なども、脳の運動を司る分野に良い影響を与えているのでしょう。画を描くという行為は「インプット」と「アウトプット」、「記憶」と「運動」という脳の機能を万遍なく活動させ、脳全体に刺激を与えています。
画家が長寿であるもうひとつの理由は、画家の「生きざま」にあるようです。常識にとらわれることなく、社会通念の決まりごとを超越した生き方は、ストレスを感じることなく心を開放します。葛飾北斎は、生涯に93回の引っ越しをした転居癖の奇人ですし、ピカソは作風をめまぐるしく変化させ、生涯に数万点の絵画や彫刻などを制作した多作な美術家としてギネスブックに登録されています。小倉遊亀は30歳も年上の禅の研究家と結婚しましたし、97歳の長寿を得た梅原龍三郎(1888-1986)は、健啖家、酒豪、ヘビースモーカーとして有名です。同じく97歳で亡くなる熊谷守一(1880-1977)は「画壇の仙人」と呼ばれ、晩年は自宅の狭い庭で、虫や石ころを観察して一日を過ごしました。一流の画家たちは、皆さん「自由」です。ストレスから解放された心と身体は病を寄せ付けず、長寿に資することに繋がっています。
一流の画家が長寿であることの最後の理由は、画に対する情熱と執念でしょう。歳を重ねることにより、人生経験が豊かになるとともに心の成熟度が向上し、一流の画家の多くはその画風を歳とともに変えていきます。現状に満足することなく常に向上を目指す情熱が、寿命をも伸ばしているのでしょう。葛飾北斎は臨終に際し、「あと10年せめて5年生き永らえさせてくれたら、真正の画工となり得たのに」と言い、最後までその向上心を失いませんでした。
筆者自身としては、一流の画家とはいきませんが、画を描くことが脳を広範囲に刺激することを肝に銘じ、ストレスフリーな生活を心がけ、画への情熱はそこそこに継続して描くことを、心がけたいと思います。
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(※1)出典:霜田里恵「一流の画家はなぜ長寿なのか」
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