人形町「喜寿司」は入母屋造り金看板で江戸前寿司の伝統を守る名店

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喜寿司江戸前寿司の源流を今に伝える老舗の名店のうちのひとつです。古い歴史建築が多く残る人形町の中でも、ひときわ風格と上品さを醸し出す木造家屋で、今も江戸前仕事の寿司を提供しています。そんな「喜寿司」さんのご紹介と江戸前寿司定義系譜についてご紹介いたしましょう。

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喜寿司の歴史と建物外観

喜寿司 外観
喜寿司正面

喜寿司の創業は1923年(大正12年)ですが、現在の建物は戦後に建てられた入母屋造り木造2階建でどこか風流を感じる趣です。入口正面には金看板、左の窓は連子窓、右は2階に通じる別の入り口があって切妻屋根がついています。

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建物内観

中に入ると船底天井の高さを感じる空間が広がります。落ち着いた和の趣に、静かに時間が流れます。適度な緊張がありつつも、穏やかでフレンドリーな空気が漂っています。

上の真ん中の写真の飾り皿は4枚揃いです。日本では古くから奇数縁起が良いといわれていますが、「喜寿司ではなぜか4枚なんです」と四代目の店主さんがおしゃっていました。上の右の写真ではお手洗いの天井網代になっています。昔の建物は、細かいところまで意匠に凝っています。

店内には高松宮妃両殿下が喜寿司を訪れた際の写真が飾ってありました。カウンター脇には急逝された三代目油井隆一氏の写真が温かく店内を見守っていました。

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江戸前寿司

狭義の江戸前寿司というと、ひとつは食材に酢などで〆る」「煮る」「醤油などに漬ける」「茹でるなどの「ひと仕事」を加えたものを指すことが多いようです。冷凍技術もなかった時代に日持ちを良くするとともに、魚の生臭さを払拭し、かつ魚の旨みを引き出す調理法です。もうひとつは寿司に使われる酢飯を作るのに、酒粕から作られる赤酢を使った赤シャリを用いることです。一般的な米から作った米酢を用いた白シャリに比べると、酸味はまろやかで香りがよいのが特徴です。江戸時代に発明された赤酢は原料が酒粕なので原料が米の米酢に比べると廉価で普及しましたが、一方長い熟成が必要なため、現在では逆に高価なものとなっています。

才巻海老の握り
才巻海老の握り

唐子づけ」(中国の子供の帽子に似ているところから)と呼ばれる喜寿司伝統の細工寿司才巻海老の握りです。たっぷりのおぼろの風味が口の中に広がります。「おぼろ」とは酢の酸味を和らげる効果と、魚の旨みを補う役割があり、その作り方は芝海老すり身にして調味料を加えて、丁寧に煎り上げて作ります。最近では「おぼろ」を用意している寿司屋さんも少なくなっているようです。喜寿司さんでは車海老小肌のほか玉子握りにも「おぼろ」が入っていました。

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江戸前寿司の系譜

江戸前寿司歴史については諸説あるようですが、華屋与兵衛が江戸前握り寿司の始祖であることは概ね衆目の一致するところのようです。華屋与兵衛が1818年東京両国で与兵衛鮨を開業し、その流れを汲み伝統を守っている老舗が、東京に三店あります。ひとつは江戸時代1866年創業の弁天山美家古寿司(浅草)、二つ目は1880年(明治12年)創業の吉野鮨(日本橋)、三つめは1923年(大正12年)創業の喜寿司(人形町)、の三店です。

華屋与兵衛から遅れること約60年、1877年(明治9年)に現在の東銀座近くに江戸前寿司の伝統を踏襲する二葉鮨(三原橋)が開業しました。二葉鮨からは多くの寿司職人が巣立っており、二葉鮨がなければ現在の東京の寿司屋の隆盛はなかったともいわれています。

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まとめ

江戸前寿司を狭義でとらえると、①食材に仕事(〆る、煮る、漬ける、茹でる)をしていること、②酢飯に赤酢を使っていること、が挙げられます。長い歴史を持ち、伝統の調理法を頑なに守っている4店を改めて以下にご紹介します。皆さんはどのお店がお気に召すでしょうか?

弁天山美家古寿司(浅草)HP     食べログ リンク

吉野鮨(日本橋)HP         食べログ リンク        

喜寿司(人形町)           食べログ リンク

二葉鮨(三原橋)          食べログ リンク

江戸前寿司の別記事があります。ご興味のある方はお立ち寄りください。