神田の歴史建築、蕎麦「まつや」鮟鱇鍋「いせ源」鳥すき「ぼたん」

まつや全景 飲食

第二次世界大戦で東京は60回の空襲に見舞われ、街の半分は焼失し、死者は11万人を超えました。繁華街の浅草日本橋神田界隈は標的となり、ほどんどが焼失しています。ところがその神田地区の中で奇跡的に焼失を免れた一画があり、今も昭和初期の建物で、営業をしているお店があります。それら4店をご紹介しましょう。

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神田まつや本店(蕎麦屋)

外観

神田まつやは1884年(明治17年)創業し、1926年(昭和元年)に現在の建物が建てられました。2階には大きな「手打ちそば」と書かれた提灯が両脇に掛けられ、真ん中には端正な「まつや」の釣行灯です。提灯と釣行灯の上に目をやると出桁造りで伸ばしたに風格を感じます。

1階は細かな意匠の建具に魅了されます。正面2ヶ所の入り口の上のをかたどったには矢羽根の意匠が施されています。」と「」で「まつやなんですね、なんともな意匠です。

まつや 外観
まつや外観
まつや 正面
「松」の窓と「矢羽根」の細工

内観

ひとつの大きなフロアーに整然とテーブルが配置され、混みあえばみんなで仲良く相席です。天井が高いうえに入り口側の壁一面がガラス建具なので、明るく解放感のある店内です。天井は格天井(角材を格子に組み板を張る)で格式高くまとめています。天井の照明行灯風の大きな照明器具で、リズムのあるデザインが施されています。

まつや 内観
まつや内観 入口側壁一面がガラス建具

お料理

ビールわさびいもを注文すると、突き出しのそば味噌もついてきました。続いて親子煮お酒を頂いたあとははもりそばです。お蕎麦屋さんらしいおつまみと、老舗の伝統を守るお蕎麦はとてもおいしく、行列が絶えないのも納得です。お昼からの通し営業ですが、中途半端な時間でも客足の絶えることはなく、またおひとりでお越しの方も多く見受けられました。おそらく皆さん常連さんで、サッときてサッと食べて帰っていました。

神田まつやHP リンク

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竹むら(甘味処)

外観

竹むらの建物は1930年(昭和5年)に建てられた入母屋数寄屋造り木造3階建です。こじんまりとした外観ですが、店内は広々とした空間で、高い天井とたくさんのに囲まれ光がたっぷり差し込みます。建物外部には、軒行灯石灯籠庭石植栽竹垣など、自然との調和がコンパクトなスペースで見事にまとめられています。

竹むら 外観
たけむら外観

軒反(のきぞり)

出桁造りのような力強さを排した瀟洒な造りで、特に軒先が上に向く軒反(のきぞり)が軽やかな印象を与えています。2階の欄干には「竹むら」の「」の透かし彫りの意匠です。軒反は社寺建築にみられる手法で、神仏思想から鳥が羽ばたく様子を表しているといわれています。軒反の形態は時代とともに変化し、飛鳥平安時代は軒の真ん中から徐々に反りあがる真反(しんぞり)、鎌倉時代は軒先急に反りあがる長刀反(なぎなたそり)が主流でした。

竹むら 軒ぞり
たけむらの「軒反」と欄干の「竹の透かし彫り」

数寄屋造り

竹むらは数寄屋造りですが、その特徴は茶室建築に習い、自由質素繊細洗練です。杉皮土壁などの自然素材を使い、庭の四季や周囲の自然との調和を図ります。縁側は家にいながら季節を感じることができる先人の知恵のひとつです。

竹むら内観 自然の中にいるような空間 出典:食べログ 竹むら

裳階(もこし)

「竹むら」の窓のうえにがありますが、これは寺院建築で用いられる裳階(もこし)」という手法です。この庇は、階高が高い場合に壁面風雨から守るための機能面と、建物を多層階に見せる意匠面での効果があります。

薬師寺東塔 裳腰の代表例
薬師寺東塔(国宝) 裳階(もこし)の代表例 出典:写真AC

食べログ 竹むら リンク

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ぼたん(鳥すきやき)

外観

ぼたんは、1897年(明治30年)創業の鳥すき焼き専門店です。現在の入母屋造りの建物は1929年(昭和4年)に建てられました。

ぼたん 外観
ぼたん外観
ぼたん外観 入母屋造 出典:食べログ ぼたん

内装

建築当時の二代目当主が建築に凝り性だったため、銘木粋な意匠が、座敷にも廊下にも溢れています。大広間から小ぶりの個室までありますが、すべて籐むしろの座敷で小さなちゃぶ台備長炭の鍋台、鉄鍋鳥すきを頂きます。

ぼたん 外観 内観 パンフレット
籐むしろ座敷とちゃぶ台 凝った意匠 出典:ぼたんパンフレット

外壁

「ぼたん」の外壁は下見板張り漆喰壁でしたが、戦争中に防火のためにルタルに改修しています。坪庭に面する外部建具などには、建築当時の面影が色濃く残ってます。

下見板張りとは、板の下端がその下の板の上端に少し重なるように張ることで、雨水の浸透を防ぐための仕様です。ちなみに日本の城郭の天守の壁は、白漆喰の塗壁か、下見板張りが多く採用されています。白漆喰の天守の代表格は「姫路城」で、白鷺城の名のとおり優美さが強調されます。下見板張りの天守の代表格は「松本城」で、黒漆塗の板を貼る俗称「烏城」は武骨さが表現されています。

下見板張りと白漆喰の事例写真
(参考写真)「下見板張り」と「白漆喰」の壁 出典:写真AC

ぼたんHP リンク

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いせ源本館(あんこう鍋)

外観

いせ源の創業は天保年間と古く、1930年(昭和5年)に現在の入母屋造りの建物を建てた当主は、すでに四代目を数えました。2階の窓の欄干透かし彫りや大きなあんこう鍋の木看板、菊正宗の木看板釣行灯など、レトロな雰囲気に溢れています。

いせ源 外観
いせ源外観

内装

内装は四代目当主が、浅草の大工さんと江戸の粋を追求したこだわりが随所に見られます。をかけた曲がり木の窓枠が、数寄屋の自由奔放さを象徴しています。

いせ源 内観
いせ源内観 漆をかけた曲がり木の窓枠 出典:東京老舗の名建築

いせ源HP リンク

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まとめ

神田界隈で奇跡的に焼失を免れたこれら4店は、今も建物を維持保存しつつ、営業を継続しています。4店とも東京都選定歴史的建造物に指定されていて、今後ともその姿を留めることが期待されます。歴史的建造物の中で食事をすると、ちょっとした時間旅行をしている雰囲気に浸ることができます。

神田まつやHP

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ぼたんHP リンク

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いせ源HP リンク

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