関東の登山愛好家や神社仏閣好きな方には、よく知られた存在かもしれませんが「大山詣で」は単なる登山や観光ではありません。大山信仰の歴史は古く「大山・阿夫利神社」は2200年以上前に創建されたと伝えられていますし、縄文時代の祭祀の痕跡も見つかっており山岳信仰を起源とするその歴史は非常に古いものです。江戸時代になって庶民の生活が安定してくると、「大山詣で」の一大ブームが訪れます。
江戸時代に人気が出た理由
江戸の人口が100万人ぐらいであった頃に、毎年20万人が「大山詣で」をしていました。大山詣りを目的とした「講」を組織し、費用を積立て順番に大山に向かう仕組みが作られ、「御師」たちの熱心な布教もあり、最盛期には関東とその周辺地域で100万戸を超える檀家がいたとされます。「大山詣で」の人気の秘密をどこにあったのでしょうか。
一つ目は、①信仰と行楽の融合と参拝のしやすさです。参拝とは言いつつ遠出する娯楽の機会なのですが、「大山詣で」は3~4日程度で済み、手形も不要なので気軽に出向くことが出来ました。「富士詣り」は7日以上かかるうえに、箱根の関所では手形が必要でハードルが高かったようです。二つ目は、②「講」による団体参拝と宿坊の充実です。同じ職種や地域の人が「講」を組織し、費用を出し合うことで誰でも参加できる身近な旅となりました。また、御師(宿坊)が参拝者の世話をし、「豆腐料理」や「大山こま」などの名物も生まれ楽しみが広がります。三つめは、③江戸文化の「粋」の魅力と浮世絵による拡散です。鳶職や大工など職人たちは、江戸から巨大な「木太刀」を担いで運び、大山に奉納する風習がありました。これは武運長久の故事に由来するもので、巨大な木太刀を担いで参拝する姿は歌舞伎や浮世絵の題材にもなり、江戸の「粋」な文化として広く紹介され、「大山詣で」の人気をさらに押し上げました。
大山詣での「粋」と江戸文化

大山詣りの際に鳶職や大工など職人たちは、それぞれ江戸から木太刀を担いできます。これは源頼朝が武運長久を祈願して自分の刀を大山寺に奉納したとされる故事に由来し、この木太刀に願いを書いて大山寺や山頂の大山阿夫利神社に奉納しました。木太刀は当初 30 ㎝ほどでしたが、中には 7mを超える巨大な木太刀も納められるようになります。鳶職や大工など職人たちが巨大な木太刀を担いで江戸から大山まで歩き、滝で身を清めて奉納する姿は他に類を見ない庶民参拝として注目を浴びます。


参拝者たちは参道の中腹にある四つの滝(元滝、 良弁滝、 愛宕滝、 大 滝)に打たれ、身を清める滝垢離(たきごり)をしてから登拝します。粋な職人たちにとっての滝垢離は、互いに「彫りもの」を披露し合う大山詣りならではの舞台でもありました。こうした様子が歌舞伎で取り上げられ、歌舞伎役者が彫りもの姿で大きな納め太刀を手に滝に打たれる姿の浮世絵が売り出されると、江戸っ子の人気に火をつけます。また、参拝者たちが大山に向かう道中の賑わいの様子などの浮世絵も多くの人々の興味や関心を呼び起こし、大山詣りは「粋」なものとして人々の間に定着するとともに、一部地域では「大人になるための通過儀礼」にもなるほどでした。

「大山」について
「大山」は都心からは約 50kmの距離で、神奈川県西部の丹沢山地の東麓に位置する標高 1,252mの山です。以東には筑波山まで高い山がないことから、関東一円から「大山」の山容を望むことができます。
大山寺と大山阿夫利神社
大山寺は大山詣りで納め太刀を奉納する寺で、大山詣での目的地のひとつです。以前は現在の大山阿夫利神社の下社がある位置にありましたが、明治政府の神仏分離政策で廃寺となってしまいます。その後熱心な信者の力により明治時代に現在の地に再興されました。大山阿夫利神社の本社は、大山の山頂にあります。
「こま参道」は宿坊や飲食店、土産物店が並ぶ石段の参道で、途中には滝垢離をする四つの滝があります。石段の上から山道を登って約1時間30分で大山阿夫利神社・下社に到着です(この区間ケーブルカー有り)。更に山道を1時間10分登ると、山頂の大山阿夫利神社・本社に到着です。


大山道
「大山道」とは、関東各地から大山へ向かう古道の総称です。放射状に多くの道が通じており、道標が各地に設置され、参拝者が道に迷わないよう案内されていました。また、海上からの参詣もあり房総・富津から横浜の野嶋浦への船旅も行われていました。江戸から出発した参拝者は、伊勢原宿などで宿泊し、翌朝「こま参道」を登って大山寺や大山阿夫利神社へ向かいます。参拝後は、江ノ島や鎌倉などの観光地も訪れることが多く、「大山詣で」は周辺観光も含むレジャー旅行として定着していました。

道標
各地からの参詣者を大山へと導く石造りの道標があちこちに立っていたようです。側面には「大山道」と彫り込まれ、大山にちなんで不動明王を載せているものもあります。大山へと向かう道は、主要なものだけでも 8~10 のルートがあったとされ、それぞれのルートに多くの道標が立てられていました。

下の図は「現存する道標」の位置をプロットしたものです。各方面から大山に向かう多数の「大山道」に対して、それぞれ道標が数多く立てられていたことが分ります。

大山こま
「大山こま」は「金回りが良くなる」という縁起物で、大山の木地師によって製作された大山土産のひとつです。現在も大山の代表的な土産物で、彩色は朱、紫、藍の3色に塗り分けられ、回すと3色が美しく調和します。心棒は、根本が細く先端に向かって太くなるのが特徴です。これは「喧嘩独楽」という遊びをする際に、他の独楽がぶつかっても倒れにくくするための工夫であるとされます。

まとめ
信仰と行楽がほどよく調和し、江戸文化の「粋」を体現できる場としての「大山詣で」は、江戸庶民から絶大な人気を得ました。歌舞伎や浮世絵との相乗効果が見られることも、江戸文化を考えるうえで興味深いところです。2016年には「大山詣で」の歴史的・文化的な価値が再評価され「日本遺産」に認定されました。現代でも「大山詣で」の伝統は引き継がれており、特に春から夏にかけては「講」の人々が白装束で参道を登る姿が見られるそうです。
都心からアクセスが良く、初心者でも安心して登山できることから、日帰りハイキングや家族連れにも人気です。山頂からは富士山や相模湾、東京の街並みを一望でき、自然と歴史を同時に楽しめるスポットとして多くの観光客を集めています。アクセスは、新宿駅から小田急小田原線で伊勢原駅まで約60分、伊勢原駅北口からバスで「大山ケーブル」行き終点まで約30分です。自然や眺望を楽しみ、華やかな江戸文化に思いを馳せて、「大山詣で」をしてみるのは如何でしょう。