「藪そば」は、江戸の蕎麦屋の老舗のひとつで「更科」「砂場」と合わせて御三家といわれています。江戸の工期の文献には「千駄木の蔦屋」という蕎麦屋の記載があり、通称「やぶそば」と呼ばれていたとされています。江戸時代からの流れを汲む「藪そば」の2つの店舗「かんだ藪そば」と「並木藪そば」をご紹介いたしましょう。
かんだ藪そば
1880年(明治13年)に(千駄木にある)「団子坂藪そば・蔦屋」の神田支店を堀田七兵衛が譲り受けたのが「かんだ藪そば」の始まりです。1906年(明治39年)に「団子坂藪そば・蔦屋」が廃業したのをきっかけに「藪そば」の暖簾は「かんだ藪そば」に引き継がれています。
外観
2013年(平成25年)に、火災により旧店舗の三分の一ほどが焼失したため全体を取り壊し、鉄骨造で建て直しています。旧店舗の雰囲気を外観にも内観にも残しており、吊り行灯や看板は焼け残った旧店舗のものを使っています。
旧店舗は1923年(大正12年)の関東大震災でそれまでの店舗が焼失したため、同年木造2階建数寄屋造り再建されたもので、2001年(平成12年)には東京都指定歴史的建造物に認定されていました。築90年にもなる建物を火災で失ったことは残念でなりません。
角地にゆったりと広がる大きな敷地です。板塀を取り外し敷地の緑が街に潤いを与えています。敷地かどの吊り行灯は火災での罹災を免れました。
内観
大きな入れ込みのフロアーと格天井、行燈風の大きな照明など、以前の店舗の雰囲気とそっくりの店内です。
蕎麦と一品料理
そば粉十、小麦粉一の割合のそばです。そばつゆは辛口で濃いため、「少しだけつけてください」との注意があります。
鴨ロースはとても柔らかくて味がしっかりしています。ワサビ芋と突き出しの「ねりみそ」です。「ねりみそ」はお土産用に販売もしていました。
並木藪そば
「並木藪そば」は、「かんだ藪そば」創業の堀田七兵衛の三男が1913年(大正2年)に浅草並木町で開業しました。2011年に店舗を建て直しましたが、店舗の外観はもとより間取りも以前のものをすっかり踏襲しています。建て替え後10年くらいでお邪魔しましたが、新しいのか古いのか不思議な雰囲気の店内でした。
外観
切妻2階建のシンプルな形状の外観ですが、建物形状は建て替え前と同じです。外壁はさすがにきれいになっていて清潔感があります。入口に掲げられた看板が歴史の長さを感じさせます。
内観
入り口を入って左手が小上がりになっていて、右側がテーブル席、奥が厨房です。建て替え前の写真と見比べても全く違いがありません。照明器具も一緒です。一部が透明になっている擦りガラスは外の雰囲気がわずかに伝わるところが奥ゆかしくていいですよね。風に木々の緑と暖簾が揺れています。店内には余分なものが一切なく、静かな時間が流れています。
小上がりは2室に仕切られるようになっていて、奥側の小さい間は簡易な床の間がある仕様となっていました。常連さんや上客がお越しの際に間仕切って使うのでしょうか。ふだんは半分すだれが掛かっているだけです。
おそばと一品料理
ざるを逆にしてこんもりと盛り上がった状態で出てきました。お蕎麦はツルっと柔らかく香りもよくとても美味しいお蕎麦です。そばつゆはとても濃いのでちょっとつけるので十分です。
つまみで天ぷらを頼んだら「海老づくし」でした。才巻海老が3尾、小さめの海老4尾のかき揚げがふたつ、それにしし唐と海苔です。なんとも贅沢な天ぷらを頂きました。天つゆもそばつゆと同じもののようですので、とてもジャブジャブつけて食べられません。天ぷらに大根おろしを乗せて、ちょっとつゆにつける方法でいただきました。
まとめ
江戸時代の「団子坂藪そば・蔦屋」を始まりとする「藪そば」の流れを汲む「かんだ藪そば」と「並木藪そば」の2店はいずれも建物を建て替えていますが、その造りは以前の店舗の印象を色濃く残しており伝統を感じさせる落ち着いた雰囲気を醸し出しています。蕎麦は「かんだがそば粉十、小麦粉一」「並木がそば粉十」ですが「そばつゆ」はどちらも濃いのが特徴です。蕎麦前の料理も蕎麦屋らしい品揃えですし、日本酒の「冷や」が「常温」というのも古風で好感が持てます。「店構え」と「蕎麦」「蕎麦前の料理」のすべてに老舗を感じる名店です。実は「藪そば」の流れではもう一軒「池の端藪そば」がありましたが、こちらは残念ながら2015年(平成27年)に閉店してしまっています。残る2店が末永く残り続けることを願っています。
そば屋に関する別記事があります。ご興味のある方はお立ち寄りください。