京都と大阪の中間に位置する大山崎町にはアサヒグループが所有する大山崎山荘美術館があります。築100年を超える本館や、安藤忠雄が設計した2棟の建物、同館所蔵の「モネの睡蓮」など見どころたっぷりの施設をご紹介いたしましょう。
大山崎山荘美術館とは
関西の実業家加賀正太郎氏(1888-1954)が1912年(大正元年)に別荘として建設した本館を、アサヒビールが美術館として再生し、同社初代社長の山本為三郎氏のコレクションを中心に展示しているものです。山本氏は生前加賀氏とも親交があり、また柳宗悦氏の民藝運動にも積極的に支援を行っていたことからこの方面の展示にも興味深いものがあります。
敷地と建物
JR山崎駅または阪急大山崎駅から徒歩10分ですが、天王山の南麓中腹にあるため、行きは急な上り坂になります。どちらの駅からも無料の送迎バスが出ていますので、利用するのがおすすめです。
全体敷地
送迎バスを降りたところにある敷地案内図です。ここからでも少し歩くことになります。赤色の施設が建物で、真ん中が本館で築100年の木造建物、左に伸びているのが1996年竣工の地中館、右に伸びているのが2012年竣工の山手館です。地中館と山手館は安藤忠雄氏の設計によります。
送迎バスを降りてすぐの美術館入り口です。先が見通せない洞門が期待感を膨らませてくれます。
アプローチ
新築時の用途が別荘だけあって、素敵なアプローチです。建物は木々に埋もれてほとんど見えません。
本館
本館は1912年(大正元年)に竣工し、その後1922年から1932年にかけて、順次改造が繰り返されてきました。英国風で構造材を見せるハーフティンバー方式の外観です。
内観、テラス
1階の応接の柱と梁には、立派な松が使われていました。外部建具のガラスは、面取りが施してあったのでキラキラと美しい光が差し込んできます。アーチ状のテラスの石の柱の先には、池ときれいな植栽で心が和みます。
2階のテラスからは天王山中腹からの開けた眺望と、木々に溶け込んだ建物の様子を楽しむことができます。
地中館「地中の宝石箱」
1996年(平成8年)の美術館開館に合わせ、印象派の巨匠クロード・モネの「睡蓮」の連作を展示するために、安藤忠雄氏の設計で地中館が建設されました。コンクリート打ち放しの階段を下りて行き、左手に伸びる半地下の円形展示室に「睡蓮」は展示されています。階段下の正面の窓はちょうど庭園のグランドレベルで自然に溶け込んだ感覚となります。
山手館「夢の箱」
2012年(平成24年)美術館としての展示室を拡張するため、安藤忠雄氏の設計により山手館が建設されました。同氏により「夢の箱」とネーミングされています。訪れた際にはちょうど舩木倭帆(ふなきしずほ)氏のガラス工藝展が開催されていました。
舩木倭帆(ふなきしずほ)ガラス工藝展
舩木倭帆の実家は島根県の布志名焼の窯元で、民藝運動に関わっていたことから柳宗悦やバーナード・リーチなどがたびたび訪れて、陶芸制作を行っていたそうです。倭帆は、工藝の哲学や用にかなう美しさ、堅牢さを踏襲しつつ、陶芸ではなく異なる素材の「吹きガラス」の道を歩みました。
柳宗悦(やなぎ むねよし/そうえつ)
柳宗悦は、日用品に美と職人の手仕事の価値を見出す民藝運動を始めました。1936年(昭和11年)大原孫三郎の支援により、東京駒場に「日本民芸館」を創設し初代館長となりました。
バーナード・リーチ
1887年(明治20年)香港生まれで度々日本に来日し、1912年(大正元年)には六代目尾形乾山の元で陶芸を学んでいます。民藝運動にも深く関与し、柳宗悦の日本民芸館創設にも協力しています。1965年(昭和40年)リーガロイヤルホテル大阪のメインバーとして、コテージ風で「用の美」を味わうことができる「リーチ・バー」が開業しています。
庭園
きれいに整備されている広大な庭園のなかに、建物が存在感を強調せず自然の中に溶け込むようにたたずんでいます。四季折々の表情を見せる自然の中でゆっくりと庭園を散策するのも、この美術館を訪れる醍醐味のひとつでしょう。
周辺情報
サントリー山崎蒸留所
JR山崎駅または阪急大山崎駅から徒歩10分です。見学は有料のガイド付きツアーと無料の見学コースがありますがどちらも事前申し込み制ですのでご注意ください。有料の方は抽選制で、無料の方は先着順です。
国宝の茶室「待庵」
JR山崎駅の駅前にあります。1582年(天正10年)山崎の合戦の際に、豊臣秀吉の命で千利休が陣中に建てた茶室を、1623年(元和3年)に移築したものといわれています。日本最古の茶室建造物であるとともに、千利休が作った茶室で唯一現存するものです。見学は待庵がある妙喜庵に、1か月以上前に往復はがきで申し込む必要があります。