旧古河庭園は、古河家三代目当主の古河虎之助が大正時代に邸宅と庭園を整備したものです。洋館と洋風庭園は、三菱三代目社長の岩崎久弥本邸と同じく、ジョサイア・コンドルが設計し、和風庭園は第一人者として名高い、七代目植治こと小川治兵衛の作庭が今も残ります。
概要
古河庭園は、明治の元勲・陸奥宗光の邸宅でしたが、次男潤吉が古河家の養子となったため古河家の所有となりました(陸奥宗光が明治に建てた建物は現存していません)。古河家初代市兵衛の側室の実子である虎之助が三代目社長となった際に、現在の邸宅と庭園の形に整備しました。洋館と西洋庭園は1917年(大正6年)に竣工し、日本庭園は2019年(大正8年)の完成です。洋館と洋風庭園の設計者は、ジョサイア・コンドル、日本庭園の作庭者は、京都の庭師・七代目植治こと小川治兵衛、という当時における最高峰の人材により造られました。
全体配置図
武蔵野台地の斜面という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、洋館の前から斜面にかけては洋風庭園、そして低地には日本庭園を配しているのが特徴です。
ジョサイア・コンドル
ジョサイア・コンドルは、日本政府から招聘され1877年(25歳)に、現東京大学建築学科教授と工部省営繕局顧問に就任します。辰野金吾や片山東熊などの西洋建築創成期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築くとともに、旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などの洋館の設計にも携わります。
小川治兵衛
日本庭園を作庭した京都の庭師・七代目植治こと小川治兵衛は、山縣有朋の京都別邸である無鄰庵、平安神宮神苑、円山公園、南禅寺界隈の財界人の別荘庭園などを作庭している当時の第一人者です。
洋館
主構造は煉瓦造ですが、外壁には真鶴産の新小松石(安山岩)を貼っています。小屋組と床梁は木造で、一部鉄骨梁も使用しています。
外観
切妻屋根は天然スレート葺き、出窓や玄関ポーチ屋根は銅板瓦棒葺きです。素朴で重厚な外観は、スコットランドの建築や英国の別荘建築に近い雰囲気です。
バラ園から見た外観
南側の庭園から見た外観は、左右対称で両脇に切妻屋根を据え、その間の1階は3連アーチ、2階には高欄をめぐらしたベランダが設けられて、屋根にはドーマー窓が乗っています。全体的に野趣と重厚さに溢れています。
建物テラス前面の庭と、一段下がった庭はバラ園です。
さらに下がった3段目はツツジが植えられ、そのさらに下に広がる日本庭園との調和が図られています。
建物の内部
旧古河邸は、コンドルの最晩年65歳のときの設計で、洋館内部に和室を完全な形で取り込んだ極めて珍しいプランです。44歳の時に設計した岩崎久弥邸や、61歳時の旧諸戸清六邸の場合は、接遇用の洋館とは別に、居住用の和館が建設されていました。
旧古河邸は、1階がすべて洋室で主に接客のための空間とし、2階は寝室を除いたすべての部屋が畳を敷いた伝統的な和室としています。和洋の様式を折衷することなく、明快に区分された構成で和洋の調和を図っています。
1階
1階は、応接室、ビリヤード室、食堂、書斎からなり、すべて純洋風です。北側図面下の玄関から入り、左側③番がビリヤード室です。そこから書斎を通り①番が応接室。④番テラスに面する部屋はブレック・ファストルームとされています。その右②番が大食堂です。
応接室(バラの間)
応接室は、庭とテラスに面したとても開放的な部屋です。バラのモチーフが随所に配されており、バラの部屋とも呼ばれています。
大食堂
大食堂の壁面は真紅の布張りで、大きな暖炉が設けられ、天井にはパイナップルやリンゴなど果物の装飾が見られます。
ビリヤード室
ビリヤード室は木質を生かした落ち着いた雰囲気です。ビリヤード台上部の照明があり、ビリヤード台の足元の床面は、地中の基礎から続く補強材で構成されています。
テラス
バラ園を望む気持ちの良いテラスです。南斜面にバラ園が広がり、その先は日本庭園の森の木立です。
2階
2階は家族の居室など私的空間で、ホールと寝室が洋室である以外はすべて畳敷きの和室です。ホールと各和室は洋風のドアで区切られており、板の間の緩衝地帯と、障子や襖で区切られて和室空間に入るという構成です。(⑤番寝室、⑥番浴室、⑦番階段室・ロビー、⑧番仏間、⑨番客間)
仏間には前室との間に禅寺を連想させる火灯窓風の出入口がしつらえられています。
ロビー、トップライト
2階ホールには「トップライト」が設けられています。天井裏は屋根裏空間となりますので、さらにその先の屋根部にも、明り取りが設けられていることになります。
階段室
広々として明るく端正な階段室です。洋から和へ移行していく空間となります。
浴室
虎之助氏の要望で、肩まで浸かれる形状で造られた大理石の浴槽です。お湯は地下のボイラー室から供給されます。
庭園
洋風庭園
洋館の前庭から南側に広がる2段目のバラ園を見た状況です。きれいに区画された洋風のバラ園が広がります。奥に見える木立の中に、広大な日本庭園が造られています。
黒墨石
黒墨石とは、富士山の溶岩で多孔質で軽く加工がしやすく、山の雰囲気が出ることから石積みとして用いられます。洋風庭園と和風庭園の境に、石垣状に用いられています。
和風庭園
和風庭園は、洋館と洋式庭園の竣工に続いて、1919年(大正8年)に完成しました。京都の庭師小川治兵衛の作です。傾斜地になっている敷地の一番低い部分に位置する池泉回遊式庭園です。
心字池
「心」の草書体をかたどった心字池は、鞍馬平石や伊予青石などで造られ、池を眺める舟付石、正面には荒磯、雪見灯籠、枯滝、石組み、背後には築山が見られます。
枯れ滝
枯れ滝は心字池の水源となる渓谷を見立てた景観で、栗石で枯れ流れを造っています。七代目植治こと小川治兵衛が最も力を入れた場所とされており、和風庭園の美しいポイントのひとつでしょう。
茶室
和風庭園の中には入母屋造りの茶室が設けられています。今でも茶会が開かれたり、一般見学者も有料でお抹茶をいただくことができます。
まとめ
ジョサイア・コンドルの最晩年の洋館を見ることができることに加え、同じくコンドル設計の洋風庭園、さらには七代目植治こと小川治兵衛の和風庭園も併せて見学できるのは、かなりの満足感です。
洋館の2階は予約制での見学となっているので注意が必要ですが、1階では喫茶を楽しむこともできます。洋風庭園は、今もバラ園として人気が高く、春と秋のシーズンには多くの来場者があるようです。
和風庭園はきれいに整備されており、七代目植治の作庭を今に伝え、広大な敷地と相まって飽きることなく楽しむことができます。
ジョサイア・コンドルに関する記事があります。ご興味のある方はお立ち寄りください。
コンドルが設計した三菱三代目社長の岩崎久弥邸の記事があります。ご興味がある方はお立ち寄りください。