三菱三代目社長の旧岩崎久弥本邸は東京上野不忍池近くにあり、現在もジョサイア・コンドル設計の洋館と撞球室(どうきゅうしつ、ビリヤード室)ならびに和館が残り、国の重要文化財に指定されています。敷地は当初の三分の一になってしまいましたが、それでもなお広大な敷地に庭園が整備され一般公開されています。三菱の総帥がこだわりを極めて造った建築をご紹介しましょう。
旧岩崎久弥茅町本邸とは
岩崎久弥は三菱の創設者岩崎弥太郎の長男として1865年(慶応元年)に生まれ、慶応大学卒業後米国に留学しています。1894年(明治27年、29歳)で三菱の社長となり事業の近代化と多角化を積極的に推進しました。1896年(明治29年、31歳)に来客を遇するゲストハウスとしての洋館と、日常の生活を行う和館を建設しました。
当時は15,000坪の敷地に20棟もの建物がありましたが、現在は三分の一の敷地になり現存する建物は、洋館、撞球室(どうきゅうしつ、ビリヤード室)、和館大広間の3棟のみです。洋館と撞球室の設計は鹿鳴館の設計で有名なジョサイア・コンドルで、和館の設計と施工は当時著名な大工棟梁の大河喜十郎が行ないました。
敷地図と建物配置図
白黒の部分が当初の敷地と建物配置です。カラーの部分が現在も残る敷地と建物です。敷地の三分の二と和館の大部分を、解体・売却により失ってしまっています。和館が残っていればその文化財価値は洋館のそれを上回っていたであろうとも言われています。
一般公開の場所は、洋館と和館の内部・外部と、撞球室は外からの見学となります。庭園は散策路を自由に見学することができます。
洋館
日本の近代建築史に名を残す英国人建築家のジョサイア・コンドルにより設計されました。コンドルは日本政府に招聘され現在の東京大学工学部の建築教授となり、辰野金吾をはじめとする日本人西洋建築家を育成したほか、鹿鳴館や三菱1号館などの西洋建築の設計を行いました。
建築面積は約160坪・木造2階建て・地下室付きの建物は、1階が主に接客に利用され、2階が私的な利用のための諸室となっています。
外観
正面の玄関上部が角ドームの塔屋となっているバランスの取れたジャコビアン様式の外観です。外壁は下見板張りペンキ塗り仕上げ、屋根は天然スレート葺きとなっています。
細部にまで意匠が施されて豪華ですが、シンメトリーで端正な印象を受けます。
南側・庭園側には2層の大きなベランダが設けられています。パラペット部分に透かしが入るのはジャコビアン様式の特徴のひとつです。
東側の外観です。1階のサンルームは1910年(明治43年)に増築されました。意匠を凝らして豪華な印象を与えますが、整然とした落ち着きを感じます。
ロビー
階段があるロビーの天井は、八角格子の意匠で中の板張りの方向を変えるなど凝った通リとなっています。階段室の支柱や階段の手摺子(てすりこ、手摺を支える棒)に彫刻が施されているのも、ジャコビアン様式の特徴のひとつです。
大食堂
この建物は、部屋ごとに意匠が異なるのが大きな特徴です。大食堂の天井はシンプルなデザインながら、良材で精緻に贅沢に造られています
ベランダ
1階のベランダには、イスラム建築の幾何学模様と草花をモチーフにしたエキゾチックなタイルが、目地なしで貼られています。目地なしで貼るということは、タイルの寸法が均一ではないため大きなロスが出るとされています。タイルは英国王室ご用達のミントン社製で、個人邸で同社のタイルが使われることは非常に珍しいとされています。
婦人客室
婦人客室の天井は、シルクの刺繍が施された布張り天井です。木枠と調和して息を呑む美しさです。
サンルーム
東側の1階に増築されたサンルームは、ガラスで囲まれた明るく開放的な空間です。視線の先に別棟の撞球室が見えます。
撞球室と洋館は、なんと地下道でつながっています。下の写真の洋館の植え込み付近から、撞球室前の明り取りのガラス蓋の間に地下道が設けられています。
洋館は、都市ガスを熱源としたスチーム暖房が全館に配備されています。スチーム暖房の放熱器にも精緻な意匠が施されています。
書斎
岩崎久弥が多くの時間を過ごした書斎は落ち着いた空間です。天井には豪華なアンカサス(葉の装飾の中でも一般的なもの)の彫刻が施されており、菱形は三菱のマークを連想させます。
書斎の床の木組みは方形を基本とした落ち着いたデザインですが、洋館の各室はそれぞれ異なった木組みのデザインが採用されています。婦人客室は三角形を採用したデザインがリズムや華やかさを醸し出しています。
2階客室
2階客室には、明るいホワイト系の天井が採用されています。暖炉も各室ごとに異なったデザインですが、いずれも熱源は都市ガスが採用されています。
婦人客室の天井は薄いピンクが採用されるとともに、随所のデザインに女性らしい優しさが表現されています。
金唐革紙
2階の客室の一部では、金唐革紙(きんからかわかみ)の壁紙が復元されていました。金唐革紙とは和紙に金属箔を貼り、版木に当てて凹凸文様を打ち出し、彩色を施す高級壁紙です。金属箔の光沢と華麗な色彩が建物の室内を豪華絢爛に彩ります。
欧米の金唐革(きんからかわ)の技法を模して、革の代わりに和紙を用いて製作するのが金唐革紙(きんからかわかみ)です。
2階ベランダ
2階のベランダの列柱は、イオニア式(柱頭に渦巻の模様がある)で優雅な雰囲気を醸し出しています。
撞球室
洋館の東側に別棟として山小屋風の撞球室が建てられています。これもコンドルの設計ですが洋館とは全く異なる雰囲気の建物です。木肌をそのままにした角形の丸太を校倉造り風に組み上げられています。
外観、外装
切妻屋根はスレート葺きで、妻壁の破風部分にはうろこ状の意匠が見られます。庇は大きく張り出され、支える柱にはデザインが施されています。
内観
広く開放的な空間です。トラスには美しいアーチの装飾が施されています。
撞球室から洋館を見る
撞球室から洋館を見た写真の方向に地下道が通っています。撞球室前にあるガラス蓋は地下道の明り取りで、洋館前の井戸のような石組は換気口です。
和館
和館は岩崎家の日常生活の場で建設当時は建坪550坪に及び、洋館を遥かにしのぐ規模を誇っていました。現在は大広間を中心とした1棟のみが残っています。
外観
書院造を基調とした和館は、どこか禅寺を彷彿とさせる雰囲気を持っています。
大きく縁側に張り出した庇は、無柱で構成されています。
廊下
洋館と和館をつなぐ廊下は畳敷きで船底天井の凝った作りです。広間周囲の入側(畳廊下)の天井板は単材で節はひとつも見当たりません。よほどの巨木を用いたことがうかがえます。
広間
書院造りの広間は岩崎家の冠婚葬祭などの私的な行事に用いられました。天井や柱、鴨居、長押などの部材には、檜や杉の大木が使われています。
欄間にも岩崎家の家紋である「重ね三階菱」の意匠が施されています。
家紋の装飾
欄間以外にも随所に菱紋のデザインが採用されています。
まとめ
建物の設計と内装のデザインはもとより、使用されている建築材料や設備機器、建具、金物に至るまで強いこだわりと惜しみない予算をかけて造ったこれらの建物には驚嘆するばかりです。個人の建物でこれだけの贅沢ができるのはさすが三菱の総帥だと思いましたが、一方、岩崎久弥は社長時代に事業の社会性や公正な競争に心を砕いており、社会貢献についても強い関心がありました。1916年(大正5年)に51歳で社長を退任したのちは、1924年(大正13年)に東洋文庫を設立し、現在では世界的に著名な東洋学の研究図書館となっています。また、そのころ駒込と清澄にあった岩崎家の別邸を東京市に寄付し、現在では駒込の六義園、江東区の清澄庭園として市民の憩いの庭園となっています。
人を信頼し、人に信頼された岩崎久弥氏は、今もなお多くのことを我々に残してくれています。
三菱二代目社長の岩崎弥之助が建てた「箱根別邸」についての別記事があります。ご興味のある方はお立ち寄りください。
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