門司港レトロ地区と対岸の下関。春帆楼は伊東博文が愛したふぐ料理店

関門海峡 旅行

九州北端の門司港は、今は門司港レトロ地区として観光の名所として整備されています。目の前の関門海峡には大小さまざまなが行き交い、見上げれば大きな関門橋が美しいつり橋の姿を誇っています。渡し船でわずか5分で下関に渡るとそこにも歴史を感じる様々な施設が保存されています。そんなお気に入りの地域をご紹介しましょう。

関門海峡観光イラストマップ
PR

門司港地区

門司港は、明治時代に塩田の場所を港湾に改造したもので、明治32年に開港すると横浜神戸大阪に次ぐ第4の港として大きく発展しました。貿易の拠点としてはもとより、門司港駅鉄道輸送の拠点として経済的に大きく発展しました。昭和17年(1942年)に関門鉄道トンネルが開通し、九鉄道の拠点が門司駅となったため、門司港駅の鉄道路線としての重要度は低下していきます。さらに昭和48年(1973年)に関門橋が開通したことにより、門司港地区は完全に単なる通過点となってしまったのです。

門司港レトロ地区

1988年歴史的建造物を保存活用する門司港レトロ整備事業が開始され、「門司港駅」や「旧門司税関」貿易商社の「旧門司三井倶楽部」「旧大阪商船ビル」などの、明治から昭和初期の歴史建築が保存されています。当時の地域経済は隆盛を極め、高級料亭なども多くあり、そのうちのひとつ三宜楼(さんぎろう)は2014年保存修理を経て一般公開されています。

門司港駅
門司港駅 出典:写真AC

関門海峡を眺める

関門海峡の幅は、狭いところで600m。ここを行き交う船は1日1,000隻といわれ、日本から輸出される貨物13%は関門海峡を通ります。海峡の狭さ、潮流の速さ、潮流の向きの変化(潮の干満で1日4回向きが変わる)、船舶通行量の多さ、航路の複雑さなどにより難所といわれ、通行にあたっては水先案内人(パイロット)の同乗が義務付けられています。

行き交う船を眺める、一番お勧めの場所はノーフォーク広場です。広場は海峡に面して関門橋にも近く、行き交う吊り橋の風景はいつまで見ても飽きません。もうひとつは門司港レトロ展望室です。黒川紀章氏が設計したタワーマンションの最上階31階にあり、地上103mから関門海峡全景や門司港レトロ街並みを見渡せる絶景ポイントです。展望室内にはカフェが併設されていますので寛いで楽しむことができます。また、プレミアホテル門司港海峡側の部屋に宿泊しますと、時間とともに変わりゆく関門海峡の景色を、部屋からのんびり眺めることができます。早朝や夜の風景もホテルの部屋からですと十分に堪能することができます。

プレミアホテル門司港 HP

門司港地区 その他

門司港は、出光興産の創業者出光佐三氏が事業を旗揚げした場所でもあります。2000年に出光コレクションを展示する「出光美術」が開館し、美術品展示のほか出光佐三の生涯の軌跡を紹介する「出光創業史料室」も併設されています。

和布刈(めかり)神社は九州最北端の関門橋真下にあり、潮の満ち引きを司る神様が祀られています。潮の流れの変化が激しい関門海峡を、1800年間見守り続けているこの神社は、松本清張氏の小説にも登場しています。授与品の中には、かわいい「ふくみくじ」がありました。

和布刈神社 ふくみくじ
和布刈神社ふくみくじ
PR

下関 唐戸地区

門司港から渡し船で対岸に向かうと下関「唐戸(からと)地区」です。渡し船は20分毎に出ていて、所要時間はわずか5分です。かなりのスピードを出して、大型船の行き交う海峡を船の合間を縫って走ります。間近に見る大型船や、海上から見る関門橋も、ひと味違った趣があります。

唐戸市場 カモンワーフ

唐戸市場卸売市場で、早朝はプロの方々で賑わい、昼間は一般のお客さんが大勢訪れています。農産物の直売所もあり、まさに関門の台所といった趣です。隣接してカモンワーフと呼ばれるレストランお土産店休憩スペースなどからなる複合施設もあり、ベンチ芝生広場では大勢の観光客が、唐戸市場で買ったお寿司や海鮮丼などを楽しんでいます。

唐戸市場外観
唐戸市場 出典:写真AC

歴史的建造物

カモンワーフの近くにある旧秋田商会ビルは、大正4年(1915年)に竣工した和洋折衷の極めてユニークな建物で、屋上には日本庭園が設けられています。秋田商会は木材取引などの商社的活動と海運業を営み、当時の港湾都市下関を代表する企業でした。

旧秋田商会ビル
旧秋田商会ビル

旧秋田商会ビル近くの旧下関英国領事館は現存する最古の領事館建築といわれ、重要文化財にも指定されています。館内ではアフタヌーンティーを楽しんだり、お土産を購入することもできます。

旧下関英国領事館
旧下関英国領事館
PR

春帆楼 

春帆楼は、豊臣秀吉以来のふぐ禁食令が解かれたふぐ料理公許第一号の老舗ふぐ料理店です。初代総理大臣伊藤博文が春帆楼に宿泊した際に、時化(しけ)で漁ができず困った春帆楼が、叱責覚悟でふぐ料理を出したところ、伊藤博文はこれを称賛し山口県令に命じて禁を解きました。

日清戦争講和会議は、1895年(明治28年)伊藤博文、陸奥宗光らが清国代表団と春帆楼2階の大広間で交渉を行ないました。春帆楼からは、狭い関門海峡を多くの軍船が大陸に向かう様子を間近に見ることができ、日本の軍事力を誇示し交渉を有利に運んだとされています。

春帆楼は宿泊も可能な料理旅館で、天皇陛下もたびたびご滞在されている格式が高い料理旅館です。お食事のみできる店舗は東京大阪にも支店があります。

春帆楼 HP

じゃらん 春帆楼 リンク
PR

まとめ

かつては日本有数の経済力を誇った門司港下関地区は、現在もその歴史を感じさせてくれる建物史跡が多く残っています。狭い関門海峡を行き交う大小さまざまな、美しい関門橋の景観は他所では味わえないこの地域だけの魅力です。船を眺めてリラックスしつつ、歴史の声に耳を傾ける、そんな旅を繰り返したくなるとっておきの場所です。

門司港レトロ地区の歴史建築物に対象を絞った別の記事があります。ご興味のある方はお立ち寄りください。