ジョサイア・コンドルは1877年(明治10年)日本政府の招聘により25歳で来日し、現東京大学の建築学科の教授として創成期の日本人建築家を育成するとともに、自らも鹿鳴館などの洋館の設計に携わり多くの建物を残しました。日本人の妻を持ち日本文化に傾倒し、日本で67歳の生涯を終えたコンドルの主な作品と、三重県桑名市の旧諸戸清六邸(六華苑)をご紹介しましょう。
ジョサイア・コンドルについて
英国人ジョサイア・コンドルは17歳で叔父の建築事務所に入って建築設計の道を歩みます。24歳の時に王立建築家協会主催の設計競技で1位に入賞したことから日本に招聘され、翌年1877年(25歳)現東京大学建築学科教授と工部省営繕局顧問に就任します。辰野金吾や片山東熊などの創成期の日本人建築家を育成し明治以後の日本建築界の基礎を築くとともに、鹿鳴館などの洋館の設計にも携わっています。1884年(明治17年、32歳)東京大学建築学科教授を辰野金吾に譲り退官したのちは、設計事務所を開設し67歳で亡くなるまで日本に多くの西洋建築を遺しています。日本画や華道、日本舞踊などの日本文化にも傾倒し、1893年(明治26年、41歳)には日本舞踊の師匠の前波くめと結婚します。
略歴
1869年 | 明治2年 | 17歳 | 叔父の建築事務所入所 | |
1876年 | 明治9年 | 24歳 | 英国王立設計競技1位入賞 | |
1877年 | 明治10年 | 25歳 | 来日。現、東京大学建築学科教授 | 工部省営繕局顧問 |
1883年 | 明治16年 | 31歳 | 鹿鳴館竣工 | (現存せず) |
1884年 | 明治17年 | 32歳 | 現、東京大学建築学科教授退官 | (後任、辰野金吾) |
1891年 | 明治24年 | 39歳 | ニコライ堂竣工(重要文化財) | 実施設計 |
1893年 | 明治26年 | 41歳 | 前波くめと結婚 | |
1894年 | 明治27年 | 42歳 | 三菱1号館竣工(1968年取壊し) | 2009年レプリカ再建 |
1896年 | 明治29年 | 44歳 | 岩崎久弥茅町本邸竣工 | 重要文化財 |
1913年 | 大正2年 | 61歳 | 旧諸戸清六邸竣工 | 重要文化財 |
1917年 | 大正6年 | 65歳 | 旧古河邸竣工 | 現、大谷美術館 |
1920年 | 大正9年 | 67歳 | 逝去 |
主な作品
鹿鳴館
鹿鳴館は外務卿井上馨による欧化政策の一環として、1880年(明治13年)に工事着手し3年がかりで1883年(明治16年)に完成しました。国賓や外国の外交官を接待する社交場として使用された建物は、煉瓦造2階建で1階に大食堂、談話室、書籍室などがあり、2階が舞踏室で3室開け放つと100坪ほどの広間になりました。そのほかバーやビリヤードの設備も備えられています。1940年(昭和15年)広大な敷地を有効活用できていないとの経済的理由により惜しまれつつも取り壊されました。
ニコライ堂
ニコライ堂は日本正教会の大聖堂で、ニコライ堂は通称で日本に正教会を布教したロシア人司祭ニコライに由来しています。原設計はミハイル・シチュールポフで実施設計はジョサイア・コンドルによります。残念ながら原設計図が見つかっていないため、原設計と実施設計の間にどれほどの改変が行われたかは解っていません。1884年(明治17年)に着工し1891年(明治24年)に竣工しています。
三菱1号館
三菱1号館は三菱の最初のビルとして1894年(明治27年)に建設され銀行として利用されていました。1968年に取り壊されましたが、2009年(平成21年)当時の設計図や写真をもとに忠実に復元再建されました。現在は三菱1号館美術館として活用しているほか当時の様子がわかる歴史資料室も併設されています。
岩崎久弥茅町本邸
岩崎久弥茅町本邸は三菱の3代目社長の岩崎久弥が建てた洋館です。同時に和館や撞球室、庭園なども整備されました。洋館と撞球室は主に接待に用いられ、岩崎家の日常生活は和風建築の建物で行われていました。和風建屋の方はほとんどが取り壊されてしまいましたが、コンドルの洋館は重要文化財に指定されています。
旧古河邸
旧古河邸は1917年(大正6年)コンドル64歳の晩年に、財閥古河家の本邸として建設されました。1階は洋間で応接室、食堂、書斎の構成で、2階は居室のため和室としている珍しい構成です。庭園もコンドルが設計し、建物に遅れること2年で完成しました。建物の自由見学とガイドツアーのふたつの方法で見学を受け入れています。
旧諸戸清六邸(六華苑)
二代目諸戸清六が結婚するのを機にコンドルに応接用の洋館の設計を依頼するとともに、居住用の和館と池泉回遊式庭園を整備しました。全体構想にコンドルが関与したかどうかは明らかではありません。1911年(明治44年)に着工し1913年(大正2年)に竣工しました。1991年(平成3年)から修復工事が行われ1993年(平成5年)から一般公開されています。1997年(平成9年)国の重要文化財に指定されました。
創建時写真
洋館入り口
アプローチを経て洋館の入り口に至ります。洋館入り口の利用は、主人の諸戸清六と客人のみに限られていました。
客間
客間の内装は簡素ですっきりしたデザインです。暖炉が備えられ天井のシャンデリアの付け根部分にはコンドルお気に入りのバラのレリーフが描かれています。
書斎、サンルーム
2階の書斎とサンルームです。直線や左右対称を嫌うコンドルらしく多角的に張り出したサンルームの形状が、建物南側面の印象を繊細にするとともに内部空間の奥行きを演出しています。
庭から見た外観
和館
和館は諸戸家出入りの棟梁伊東末次郎が建築しました。洋館と接して建ち、洋館入口の右手に和館の入り口があります。主人と客人以外はここから出入りしていました。
書院造りの和室ですがブラケットタイプのランプがモダンです。欄間には華美な装飾は施されず小粋な透かし彫りがさりげなく誂えられています。縁側から庭を望むところに手水鉢が配されています。桃山時代に発達した書院造りでは縁先に茶の湯用の手水鉢を置くことが慣例となっています。
まとめ
ジョサイア・コンドルが25歳で来日し67歳で亡くなるまでの43年間で約70棟の建物を設計しましたが現存するものはわずか9棟です。そのほとんどが東京に集中し、地方にあるのは三重県桑名市の旧諸戸清六邸(六華苑)のみです。
桑名宿は東海道五十三次の42番目の宿場町で、愛知県熱田区の41番目の宮宿と舟運で繋がっていたことと、木曽川などの河川を利用した物流の拠点としても大きく栄えました。初代諸戸清六はこの地で莫大な財を築き、その家屋敷は今も諸戸氏庭園として保存され春と秋に一般公開されています。その隣接地に建設されたのが旧諸戸清六邸(六華苑)で、こちらは通年公開されています。ジョサイア・コンドルの現存する旧諸戸清六邸(六華苑)と、往年の繁栄が偲ばれる諸戸氏庭園を訪れてみてはいかがでしょう。
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