辰野金吾の経歴と主な作品、和風建築の「奈良ホテル」「天見温泉南天苑」

南天苑庭からの外観 歴史建築

東京駅日本銀行本店など日本を代表する名建築を手掛けたことで知られる辰野金吾は、200以上の建築物を手掛け現存するものの多くは重要文化財に指定されています。北は北海道から南は辰野の故郷の佐賀県まで、それぞれが街のシンボルとして愛されています。辰野金吾の経歴主な作品と、なかでも貴重な和風建築奈良ホテルと大阪天見温泉の南天苑について詳しくご紹介しましょう。

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辰野金吾の経歴

1854年嘉永7年0歳肥前国唐津藩(現在の佐賀県)に生まれる
1873年明治6年19歳現、東京大学工学部入学
1877年明治10年23歳ジョサイア・コンドルが建築学科教師に着任
1879年明治12年25歳大学を首席で卒業
1880年明治13年26歳ロンドンに留学
1884年明治17年30歳コンドル退官後、大学教授に就任
1903年明治36年49歳大学を退官し、設計事務所開設
1919年大正8年65歳スペイン風邪に罹患し、逝去
辰野金吾経歴
辰野金吾晩年肖像
辰野金吾 出典:国立国会図書館HP

国立国会図書館HP 辰野金吾 リンク

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主な作品

赤レンガ白い花崗岩でラインを描き、屋根に塔や小屋を載せた辰野式デザインが全国に建つようになるのは、民間の建築家として事務所を立ち上げた1903年以降のことです。下表の日本銀行京都支店以降となります。現存する和風建築は太字の3棟のみです。

日本銀行本店1896年明治29年42歳重要文化財
日本銀行大阪支店1903年明治36年49歳
日本銀行京都支店1906年明治39年52歳重要文化財 現、京都文化博物館
第一銀行京都支店1906年明治39年52歳1999年取壊し、2003年レプリカ建築で復元
浜寺公園駅1907年明治40年53歳登録有形文化財 初の鉄道駅舎建築
第一銀行神戸支店1908年明治41年54歳現、みなと元町駅 外壁保存
奈良ホテル1909年明治42年55歳
日本生命九州支店1909年明治42年55歳重要文化財 現、福岡市赤煉瓦文化館
盛岡銀行本店本館1911年明治44年57歳重要文化財 現、岩手銀行赤煉瓦館
松本健次郎邸1911年明治44年57歳重要文化財 現、西日本工業倶楽部会館
唐津銀行本店1912年大正元年58歳登録有形文化財
日本銀行小樽支店1912年大正元年58歳現、日本銀行旧小樽支店金融資料館
二十三銀行本店1913年大正2年59歳登録有形文化財 現、大分銀行赤レンガ館
南天苑本館1913年大正2年59歳登録有形文化財 旧、堺大浜「潮湯」
東京駅丸の内駅舎1914年大正3年60歳重要文化財
武雄温泉楼門1914年大正3年60歳重要文化財
大阪市中央公会堂1918年大正7年64歳重要文化財 実施設計
辰野金吾 主な作品 太字=和風建築

日本銀行旧小樽支店金融資料館HP リンク

南海電鉄HP 浜寺公園駅 リンク

日本銀行HP 日本銀行の紹介 リンク

東京ステーションシティHP リンク

岩手銀行赤煉瓦館HP リンク

福岡市HP 文化財 赤煉瓦文化館 リンク

日本銀行京都支店(現、京都文化博物館別館)と第一銀行京都支店(1999年取壊し、2003年レプリカ再建)についての別記事があります。ご興味のある方はお立ち寄りください。

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奈良ホテル

1905年(明治38年)日露戦争に勝利した日本は外国からの訪問客が増えたため、格式の高いホテルを造るニーズが高まりました。奈良ホテルの建設では都ホテルの創業者の西村仁兵衛鹿鳴館の2倍の予算をかけ、設計は辰野金吾が担当することとなります。雅な大和の街並みとの親和性から和洋折衷様式とすることが県議会で決議されていたので、和風の瓦葺き建築で内装は桃山風の豪奢華麗な意匠で重厚感溢れたものとしました。関西の迎賓館といわれ国賓・皇族・要人が宿泊する施設として利用されてきました。

外観

美しい日本瓦の屋根、白い漆喰の壁、桃山風の華やいだ意匠の風格のある佇まいは、木造の日本建築の中にも西洋の趣漂う迫力の和洋折衷様式です。荘厳であり桃山御殿風檜づくりといわれる圧巻の建物で、切妻入母屋屋根の破風には神社仏閣に見る妻飾り「懸魚」(げぎょ)が付けられ火除けのまじないとしています。

奈良ホテル正面外観
奈良ホテル
奈良ホテル入口外観
奈良ホテル正面玄関

歴史と物語

奈良ホテルは荒池と呼ばれる人工的に築造された調整池農業用水池に面しています。左の写真は建設工事中の奈良ホテルの全景ですが、現在はその姿が木々に覆われてしまっています。荒池の堤体は周囲との調和を図るため石積みとしています。

メインダイニングの内装は100年以上前とほとんど変わっていません。シャンデリアは1922年(大正11年)に現在のものに取り替えられました。

一般道路からは長いアプローチを経て建物に至ります。小高い山を切土して平坦にする大規模な土木工事を行って敷地を確保しました。

アインシュタインのピアノ

1922年に2泊したアインシュタイン博士ピアノを弾いている写真の原板が見つかったことにより、そのピアノが特定されました。戦後GHQのホテル接収前に避難させていたピアノが、2009年に奈良ホテルに戻ってきました。

アインシュタインのピアノ
アインシュタイン博士とピアノ 写真が掲示されている
アインシュタインのピアノ修理

アインシュタインのピアノが修理されることになったと、日経新聞2024年2月5日の夕刊が伝えています。

日経新聞記事

旧大乗院庭園

大乗院は1087年(寛治元年)に創建された平安時代から江戸時代に栄えた門跡寺院(皇族や公家が住職を務める)のひとつです。明治時代の廃仏毀釈で廃寺とまりました。現在その敷地内の一部が奈良ホテルとなっています。

旧大乗院庭園
旧大乗院庭園
じゃらん 奈良ホテル リンク
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南天苑

南天苑本館は1913年(大正2年)堺市大浜に潮湯別館として建てられました。1935年(昭和10年)に天見温泉に移築され、1949年(昭和24年)から南天苑として営業しています。実は永らく辰野金吾の設計によるものだということが解っていませんでしたが、2002年(平成14年)の明治建築研究会の調査と移築資料の発見により、辰野金吾設計であることが確定しました。2003年(平成15年)国の有形文化財に登録されています。

潮湯本館と別館 古い写真
潮湯本館と別館 出典:南天苑HP

右の建物が潮湯別館で移転されて南天苑となります。二連の入母屋造りが現在の南天苑にも見て取れます。正面の洋館は潮湯本館ですが戦禍により焼失しました。

南天苑HP リンク

正面入り口

高野山に向かう山峡の地に天見温泉はあります。周囲を山々に囲まれ清楚な自然が色濃く残り四季折々の風景が美しい場所です。夏には敷地の横を流れる小川が飛び交います。

南天苑入口
南天苑 正面入り口

外観と庭園

L字型平面の木造2階建て入母屋造りで、内部は客室13室ロビー囲炉裏浴室大広間がある純和風建築です。

南天苑 庭からの外観
庭からの外観 二連の入母屋が潮湯の古写真に見て取れる

障子越しに見える陽の光や季節毎に趣を変える豊かな自然を部屋に居ながらにして楽しめます。濡れ縁の前には瓢型の庭池があり、喧騒を離れた癒しの空間を満喫できます。

南天苑 庭からの外観
庭からの外観

内観

数寄屋風の内装はシンプルに構成され、随所に茶室建築を思わせる侘び寂びの意匠がほどこされています。全13室の意匠はすべて異なりそれぞれのを楽しむことができます。部屋のみの貸間スタイルですので、トイレ洗面は共同となります。お風呂は温泉の内湯が男女各々ひとつずつです。夕食は部屋食仲居さんが一品ずつ運んできてくれます。松茸の土瓶蒸しと牛の炭火焼きがとても美味しかったです。炭火焼き用の小さな火鉢を人数分運ぶのは大変ですねとお声がけしたら、部屋の担当は毎回くじ引きで決めるそうで、1階2階、人数が多いか少ないかは運次第だと笑っておられました。

その他

外国人の旅行者がとても多い印象でした。仲居さんにお聞きすると世界中の90ヶ国から来館しているそうです。布団の上げ下ろしや仲居さんによる部屋食などのフルサービスが受けているのかもしれません。外国の方に土瓶蒸しの食べ方を説明するのは難しいんです、とちょっと困っておられました。左の写真は帳場の横に掲示してある世界地図です。多くの国からたくさんの方が来ているようです。朝食は広間で椅子席で頂きます。適度なボリュームで大変美味しい朝食でした。

じゃらん 南天苑 リンク
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まとめ

辰野金吾は近代日本を代表する西洋建築を数多く手掛けたことで有名です。なかでも白い御影石赤煉瓦で意匠される辰野式は彼の作品の代名詞ともなっています。一方今回ご紹介した奈良ホテル南天苑は、佐賀県の武雄温泉楼門・新館と合わせてわずかに現存する辰野金吾の和風建築3棟です。辰野金吾の違った一面が垣間見られる貴重な歴史遺産に一度訪れてみてはいかがでしょう。

武雄温泉 楼門
武雄温泉 楼門 出典:武雄市観光協会HP

武雄市観光協会HP 武雄温泉楼門 リンク

奈良ホテルHP リンク

南天苑HP リンク

辰野金吾に関する別記事があります。ご興味ある方はお立ち寄りください。